たりたの日記
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2006年05月01日(月) |
「バナナフイッシュに最適の日」を携えて |
今日、ゼミ日。午後からシーモア尋ねの最終段階に入った。 「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」(1955年)「シーモア―序章―」(1959年)「フラニー」(1955年)「ゾーイー」(1957年)とこれまで読んできたが、問題のテキスト「バナナフイッシュに最適の日」が入っているサリンジャーの短編9編を集めた「ナイン・ストリーズ」(1953年)の中の「テディ」を読んだ。 このテディこそが、子供の時のシーモアだと言われているからだ。
しかし、時間が来てしまった。 後1時間ほどで家を出てゼミの場所へ行かなければならないのだが、シーモアを尋ねるレポートを書き上げることも、あるいはシーモアが放ったきらめく星のような言葉を取り出してシーモア語録としてをまとめることもできなかった。
まずノートにメモ書きしていったが、あまりに膨大で、しかもどの箇所もシーモアについて重要な事が記されているから、ある部分を抜き出すというわけにも、また文章を要約するという具合にもいかないのだ。 むろん、作家は、またシーモアも、そんなことして欲しいわけがなく、一人の読者がシーモアについて紙1枚、2枚にまとめるリポートなどいい迷惑なことだろう。 サリンジャー自身がこのシーモアという人物を尋ねるという苦闘を続けながら、その旅は終わらなかったのだから。
それならば、わたしはここ2週間ほどのシーモアを尋ねる旅をひとくぎり終え、まずこの出合に深く感謝していることを記しておきたい。 そして、シーモアをはじめとするグラース家の兄弟達が見せてくれた内なる世界、そこに沈潜し、考え、共感したり、確認したりすることで湧き起こってきた喜び(わたしはかなり強い宗教的喜びをそこに感じて涙をこぼしたことを告白する)のことを忘れないでおきたい。
きっと、シーモアの言葉はこれからもこの日記に登場することだろう。 例えば、シーモアが舞台に出る弟のバディー言った「『太っちょのオバサマ』のために靴を磨いてゆけ」(この「『太っちょのオバサマ』というのは他でもない、キリストその人のことなのだが)という言葉はきっと繰り返しわたしに聞えてくるだろうし、 「おまえが死んだ時、おまえに対して二つだけ質問が出されるということだ。お前の星たちはほとんど出そろったか?おまえは心情を描きつくすことに励んだか?・・・」と、小説家になったバディーに語るシーモアの言葉もまた聞え続ける事が予想できる。
バナナフィッシュに至ってはまだ謎だ。 人間が世俗的な事に溺れ、魂を枯渇させてしまうことの暗示と受け止めたが、もっと深い意味が隠されているのだろう。 今日のゼミでそれぞれの方の読み方を聞くのを楽しみに出かけるとしよう。
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