たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2006年04月09日(日) |
エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ |
受難主日のこの日、礼拝堂には冴え冴えとした空気があった。 バッハの受難曲の「血潮したたる」の変奏曲がオルガンで奏でられ、アコライトが6本の蝋燭に火を灯し、讃美歌が歌われ、説教が語られる。その礼拝のはじめから終わりまでスピリチャルで透徹したエネルギーが流れているようだった。あたかも礼拝そのものが天へと放たれてゆくような幻視。 静かな涙がこぼれた。
説教者は語る、
「愛し続け、愛し抜くことなどできない、裏切り者として立ち続けることしかないわたし―
わたしがイエスのために何かをすることなどできはしない。 ただイエスひとりが、わたしたちのためにすることができる。
わたしたちはただただ十字架の下におり、弱弱しい自分を認めることしかできない―」
*
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
民衆や弟子達の裏切りにも
兵士の侮辱にも
手のひらや足に打ちつけられる釘にも
頭を突き刺す茨の冠りの棘にも
わき腹に刺さる槍にも
耐えたイエスは
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」
そう、大声で叫んだ。
―わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか―
神から見捨てられるという最後に残った苦痛まで苦しみ、 すべての苦しみを全うしたイエスの叫び。
本来、わたしたちが苦しまなければならない究極の苦痛を その身に引き受けたことの証。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」
それ故、この言葉は力と慰めとを持つ。
<マルコよる福音書 15章16〜38>
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。 そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、 「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。 また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。 このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 そして、イエスをゴルゴタという所・・その意味は「されこうべの場所」・・に連れて行った。
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、 十字架から降りて自分を救ってみろ。」 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。 「他人は救ったのに、自分は救えない。 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」 一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」 これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、 「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
|