たりたの日記
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2006年03月04日(土) チャールズ ・ ブコウスキー を読む



今度の文学ゼミのテキストはアメリカの詩人チャールズ・ブコウスキー(1920〜1994・)の書いた短編「二日酔い」。
ちょうどその前に、ゼミ仲間のNさんから、この短編が入っている「ホット・ウォーター・ミュージック 」を借りていたので、読み始めた。


最初の数編はちょっと抵抗があった。ファック、おしっこ、糞、とこういう言葉がふんだんに出てくるからだ。ところが、次第にその書きっぷりというか、おそらくはこの作家その人のエネルギーが何とも心地よくなってきた。
例えていえばラップを聞く気分にも似ている。言葉はかなり乱暴で汚かったりするのだけれど、そのパワーみたいなものが心地良い。ストレートで虚飾がない。意味を通り越したエネルギーとかリズムとか、そういうものに鼓舞される。しかしブコフスキーその人はどうやらクラッシック音楽を聴く人のようだが。

もちろん読んでいるものは日本語に翻訳したものだから、彼自身の言葉ではない。無理やり日本語にすることの限界がきっとあるはずだ、原文はもっとリズムがありビートの利いた文章ではないだろうかと気になって、原書の「Hot Water Music」を取り寄せた。
思った通り、無駄の全くない、シンプル極まりない、そぎ落とされ、気持ちの良いほどストレートな文章。そして何といっても独特なユーモア。どの短編にもどこかに笑わずにはいられない箇所が潜んでいて思わず笑ってしまう。

この作家に、何だか理由がはっきりわからないまま惹かれるものがあったが、原書を読んでみると、わたしの読解力をしても、この作家が並の人でないことが伝わってくる。このエネルギーの気持ちよさ!
甘さのない冷徹な視線、抜群のユーモアのセンス、自分を笑う潔さ、醒めた感覚。それでいて、どこか熱い。生きるエネルギーに満ちたパワフルな人だ。

深いところで傷を負い、痛みを持っているからこそ滲み出ている優しさがあるのだろう。(この作家は子ども時代に親から虐待を受けたようだ)
わたしはこれからも繰り返しこの本を開くことになるだろう。

日本訳の存在は本当に有難いが、日本語にすると汚い言葉や、俗っぽく、生々しい表現が英語だとさらりとスマートだったり、また滑稽だったり、かわいかったりもするのだ。これは言葉の背後にあるものが国によって違うから、致し方ないことだろう。けっして翻訳者の責任ではないと思う。
というのは、原書のシンプルなままの表現を日本語にそのまま置き換えれば、あまりにシンプルで、とりわけ会話の文章など、日本語に置き換えてみれば、面白みに欠けるかもしれないという気がする。
それはそれとして、日本語の読み物としては不自然でも、できるだけ原文のニュアンスに忠実に翻訳してみたい気持ちに駆られる。
明日、時間を作ってやってみよう。


ブコウスキーの本を他に5冊図書館から借りてきたので、書かれた年代別に並べて、どんな内容か簡単に書いてみた。
わたし自身のための覚書だが、日記を読んでくださってる方のお役に立つかもしれないのでここに載せておこう。

肝心の「二日酔い」の感想はまたいずれ。


               *


★「ブコウスキー・ノート」

 (原題Notes of a Dirty Old Man)1969
  文遊社 山西治男訳 < 1995>
    
1966年から1967年にかけてブコウスキーがロスアンジェルスのアングラ  新聞「オープン・シティー」に書いたコラムから40篇を集めたもの。
印象に残った箇所を抜き出してみる。

01 おれはドフトエフスキーを師と仰ぎ、暗闇でマーラーを聴く男だ。

25 だから輝ける無頼の徒ブコウスキーも含めて、ある種の作家たちにとって、<性>は明らかに悲喜劇なわけだ。おれは強迫観念の道具として<性>を書いているのではない。本来泣くべきところで、笑いを誘う道具として描いている。

38 <凍結した少年>という彼特有に言い回し。父からの虐待。
   父母との葛藤のことが書かれている。


★「ポスト・オフィス」

(原題Post Office)1971
幻冬舎 坂口緑訳 < 1999>

1970年まで、およそ15年に渡る、郵便局勤務の体験をもとに、19日間 で書き上げられた、処女長編小説。
小説の背景は1960年代のロスアンゼルス。30代〜50代前の著者がモデル



★「勝手に生きろ!」

(原題Factotum)1975
学習研究社 都甲幸治訳, <1996>

舞台は第二次世界大戦前後のアメリカ。
主人公、チナスキーは大学を出たばかり、二十代前半の、自信のない青年の彷徨う姿。ブコウスキー自身の青春彷徨が活写されている。原題のFactotumはもともとラテン語で、ファク=やれ。トタム=何でも。つまり「何でもやれ!」
父親の声との戦いがブコウスキーの長編小説の一貫したテーマ。
20代の著者がモデル



★「詩人と女たち」

(原題Women)1978
河出書房新社 中川五郎訳 <1992>
   
ポストオフィスの直後。50歳で郵便局勤務を止めた頃の著者がモデル。
   
書き出し 「わたしは5五十歳。この四年間というもの女性とベッドを伴  にしたことはない。・・・・・・



★「ブコウスキー詩集―指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け」

( 原題 Play the Piano Drunk Like a Percussion Instrument Until the Fingers Begin to Bleed a Bit ) 1979
新宿書房 中上 哲夫 訳 <1995>



★「ホット・ウォーター・ミュージック 」

( 原題 Hot Water Music)1983
新宿書房 山西治男訳  < 1998>
   
ブコウスキーが63歳の時の短編集。
本人によれば、それまでの作品より、読みやすく、明快になっていると  いうことだ。
 







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