たりたの日記
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2006年02月08日(水) 影(シャドー)

明け方、不思議な夢を見た。
わたしは学生で何かのサークルに所属しているのだが、そのサークルの人間関係につまずいて悩んでいた。いよいよそのサークルを退くことを決め、仲の良い仲間に退部の決意を告げた。そうすると彼女はそのサークルの指導教官のところへいっしょに行こう言い、躊躇するわたしと連れだって歩き始めた。
何か中世の修道院の薄暗い回廊のようなところを歩いていくと、一本の柱を背にして、その教官が立っていた。
赤黒い色の長いローブのようなものを着ていた。かなり年配の女性だが、わたしよりも背が高く、まっすぐに立っている姿には威厳があった。表情をあまり表に出さないような厳格で甘さのない顔をしていた。その人は黙したままだったが、わたしは何かが解決されるような期待を抱き安堵した。
夢はそこで終わる。 
ユング心理学でいうグレート・マザーとオールド・ワイズ・マンを合わせ持つようなその教官の印象が目覚めた後でも鮮明に残っていた。


夕べ就寝前にメールをチエックした時、友人からのメールがあって、その最後の行を読んだ時、わたしははっとした。同時に見つけ出せないでいた糸口が見えたような、何かがはらりと落ちたような感じがあった。

―たりたさんってもしかしたら、けっこう自分のこと嫌いなんじゃないのかなぁ、・・・―

心は一気に深層へと降りていって検証を始める。
もう遅い時間だったので、そのままベッドへもぐりこんだが、眠っている間にも、心は検証を続けていたに違いない。


表層のところではわたしはわたしを受け入れているはずだった。ところが、友人の言葉に基づいて、もっと深いところにある自分を調べてみると、わたしは今だに自分の事が嫌いで、受け入れ難いと思っていることを知らされる。

自分を嫌う人に対して、バランスを崩してしまい、そのことに執拗に捕らわれてしまう原因はここにあったのだ。
確かにわたしはわたしを嫌う、あるいは認めようとしない人の気分が良く分かるのだ。まるでその人が自分であるかのようにさえ感じる。その人の中に、わたし自身に激しく対立するわたし自身の影(シャドー)を投影するからなのだろう。

自分自身の影(シャドー)は、自分が切り捨ててきたもうひとつの自分であるとユングは言う。
その影(シャドー)と対立する以上、常にその存在に脅かされ続けると読んだように思う。もしかすると、すべての行為がその影(シャドー)への対立という形でなされているのではないだろうか。そこにはきっと影(シャドー)に向けられた棘が潜んでいて、それが見える人には見えるのだ。いえ、見えるだけに留まらず、その棘で刺すことにもなるのかもしれない。

そうか、わたしはわたしが嫌いなんだ・・・この気づきが起きた時、がんじがらめの縄がすっと緩んだ。
嫌いな自分も自分のうち、それと対決しようとするのではなく受け入れるという課題が置かれる。一朝一夕にはいかない事だろうが、自分が自分で嫌っているそこのところへ降りていって和解する必要があるのだろう。

ル・グインの「ゲド戦記」1巻目の「影との戦い」のことを思い出した。
再読してみようと思う。


たりたくみ |MAILHomePage

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