たりたの日記
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今日は一日よく歌いました。ギターが弾きやすくて音がいいので俄然弾く気になり、また歌う気になります。 保育室の先生が紙芝居をする時も、即興で音を付けてみたりして、これがけっこうウケました。
あそぼう会の後の3つのクラスでもギター持っていっていってCDじゃなくて弾き語り、子ども達って楽器に反応するものなんですね。CDとはノリがぜんぜん違います。わたしも楽しかったし。これからはいつもギターを持っていこう。 こうなればギターは商売道具。今借りているくらい弾きやすくて音がいいギターを手に入れよう。
火曜日は4クラスやった後はへとへとで夜ジムへでかける気になれないのだけど、今日は奈央先生が代行で夜も2クラス教えるということなので、出かけました。エアロ2本、くるくる回り、よく動き、しこたま汗をかき、気分爽快。
歌ったり弾いたりする時間が多くなる一方、読書の時間が少なくなっているけれど、それでも合間を縫って村山由佳の「すべての雲は銀の」を読み進めてます。今のところ3分の2のところ。やはり彼女のものは好き。このストーリーの世界に身を置くことがとても心地よい。ひとつも違和感がなく共感ばかり、ぴったし波長が合うような、そうチューニングが決まった楽器を奏でるような幸せ感につつまれる。
ジムで自転車こぎをしながら読んでいた時(ジョギングエアロまで30分時間があった)、この小説の舞台になっている信州のこだわり宿屋、そこのおやじさん(園主)の言葉にほおっと思いました。「個性」とは何かということについて語ってる言葉なのですが、なかなか含蓄のある言葉で、これはマークすべしとしるしを付けたことでした。
「・・・・人と違てるもののことだけやのうて、人とつながれるもの、人と共有できるものをどれだけ沢山もってるか、いうこともりっぱな個性やないかと思うねん。」
「・・・・無意識かもしらんけど、あんたの中にあったひとつの『個性』と、それを見る人の心とがうまいことつながった瞬間や。そういう、なんちゅうか・・・・人とつながるための端末いうか端子みたいなもんをやな、いっぱい持っていたら持ってただけ、あんたはたくさんの人とつながることがでけるわけや。」
人とつながるための端子かぁ・・・説得力ある言葉だなぁ。 この言葉を思い返しながら、今日出会った人達、明日出会う人達のことを思いました。 振り返ってみると、わたしは「つながろう」とする一方で、ともするとはなから「端子」をひっこめていることが割りと多いことに気づきます。壁や垣根を作ってしまう習性はずいぶん改良されましたが、まだ時折顔を出すんですね。端子を全部ひっこめて、ひたすら自分の内側にこもる・・・ そう、心が外に向かって開かずに閉じてしまうんですね。 時と場合ということもありますが、開かなくてはいけない時に閉じているということも確かです。
今日の教訓。 きちんとつながろうとすること、少なくともそれが必要な場面では、つながるための端子をしっかり出しておくこと。
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