たりたの日記
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2006年01月01日(日) |
新しい年は『ひとつ』を大切に生きたい |
まず新年のごあいさつから。 あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願い致します。
当初の計画としては、夜中のうちに海、あるいは山へ出かけ、初日の出を見ようと心積もりをしていたのですが、なぜか挫折。 いつものようにすでに日が昇ってから起きだし新春のテーブルを整え新春を祝いました。
なんだかひたすらのんびりしたお正月で、わたしはめったに飲まない日本酒のためか、ちょっと横になるつもりが何としっかり眠り込んでしまい、起きた時にはもう日が沈んでいました。こんなことってあり???
今年の初読書は31日に本屋から届いた森永都子と芥川仁著、「呼吸する原っぱ」でした。年が明けてから眠る前に読んだのです。 わたしの知るみやさんの世界でした。優しいけれども、揺るがない核のあるストーリーでした。「はっ」、「はっ」と心が動きました。 そのストーリーはどこまでも『ひとつ』について書かれたお話です。そしてわたしはみやさんがここに書きたかった『ひとつ』が涙がでるほどよく分かると思いました。 ストーリーの中の一文を抜き出しておきましょう。 この日記を読んでくださっている方にはきっと「はっ」と響くものがあるのではないかと思うからです。 そして今年はここから始めようと思いました。
「ねこさんは、空き地のシンとしたしずけさのうちに、それぞれの命の、ただひたすら世界において真にひとつづつというふかさをおもい、崇高なきもちにみちてゆきました」
( 呼吸する原っぱ 森永都子著 「二級魔女ゆららの散歩道」より)
今年の初観、そして初泣きは映画always 三丁目の夕日でした。何しろわたしは暗くなるまで夢の中にいたわけですから今日の活動開始は夜でした。そこでmGと映画館のレイトショーに行くことにしたのです。その前に息子達が今夜こちらにはこないことを確かめて。(彼らは明日の夜にはやってくるもようです)
泣くとは聞いていましたが、泣けました。「愛」というのは泣かせてくれるものですね。そしてしみじみと心を暖めてくれるものですね。 昭和32年から33年にかけての物語。その年というのはわれわれがこの世に生を受けたばかりの頃。スクリーンのどの場面もただただなつかしいのでした。そして忘れていたものをいくつも思い出しました。
夕方になるとテレビのある家に近所の子供たちが集まって見せてもらっていたこと。しばらくしたらわたしの家にもテレビが入り、今度はわたしの家に近くの子供達が集まってきたこと。まだ冷蔵庫がないころ、お米屋さんをやっている友達の家で氷を入れて使う冷蔵庫を見てうらやましかったこと。枕元に置いてあったサンタクロースからのプレゼントがうれしかったこと。近所のおばちゃんやおじちゃんの暖かかったこと・・・ あの頃はまだ『ひとつ』を誰もが大切にしていたのかもしれません。 わたし自身もそうですけれど、時代が豊かになっていくことで置き去りにされてしまったことが確かにあることを思いました。 あの頃はよかったなぁと言うばかりでなく、わたしたちが失くしてしまったものを取り戻していかなくてはならないんじゃないかと、そんなことを思う2006年のはじまりの日でした。
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