たりたの日記
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2005年12月26日(月) |
京都のみやさんの知り合いからメールが届く |
昨日のクリスマスの夜、思いがけないサプライズがあった。 受信トレイに「水俣を詠う詩人」というタイトルのメールが入っていた。 心臓がドキンとなる。 もしかして、みやさんから? そうでなくても、みやさんを知っている人から?
メールの主はみやさんの大学の後輩の方だった。わたしのサイトのエッセイのページで「水俣を詠う詩人」を読み、それがきっかけで30年ぶりにみやさんと連絡を取り、手紙などのやり取りが始まったと知らせてくださったのだ。 「みやさんはあの時のままですよ」いう言葉がひどくうれしかった。
ネットで物を書き始めた4年前、とにかく、心の中にしまい込んでいる印象深いこと、大切な思い出を思いつくままに次々と書いていった。読者を想定することもなく、ただただ自分と向かい合って書いていたように思う。京都のみやさんとういうタイトルで書いた日記は2001年の6月30日。ネットで日記を書き始めて3ヶ月ほど経った時の日記だ。 確かその時わたしはサバを調理したのだ。フライパンを覗き込んだ時、みやさんの事が蘇ってきたのだった。わたしはその時起こった強い思いのままにキーボードを打ったらしい。
かなり感情的な文章だが、今でもこの文章を読むとみぞおちの部分がきりきりと痛い。この文は誇張でもなんでもなく、正直なわたしの思いだったことが分かる。この文章を書くことで、ずっと心にあったことを一旦自分の外に出した。そうすることで、思い出の中のみやさんがはっきりとした輪郭を持って、それまでよりもずっと近い距離でそばにいるような印象へと変わった。
「会ったことの意味が分かるだろうか」とわたしは問うている。
今、はっと閃くものがある。 みやさんはイエス的な人だった・・・と。
少なくともわたしが信じてその後を歩いていこうと決心した時に掴んだイエスの面影を持っていた。 クリスマスの日、わたしはみやさんと再会する道筋を見つけていただいたようでうれしかった。
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