たりたの日記
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クリスマスといえばプレゼント。 なぜクリスマスにプレゼントをするのか。聖書の世界とサンタクロースは関係ない。贈り物の由来にはこんなお話がある。
イエスが生まれた頃、東方の占星術の学者が、空にひときわ輝く星を見つけ、その星がメシヤ(救い主)が生まれた徴だと知り、それぞれ黄金、乳香、没薬の救世主への贈り物を携え、その赤子に見えるために、はるばる旅をし、贈り物をした。 クリスマスに贈り物をする習慣はこのことがもとになっていると聞いた。それは日本のお歳暮の感覚とは少し、いやずいぶん違うような気がする。
アメリカにいた頃、子供達はクラスの先生に差し上げる小さな贈り物とクリスマスカードをバックパックの中から取り出す。 また、家庭ではクリスマスの日、家庭のゴミを集めに来てくれる作業員の方や、郵便配達、新聞配達の人に、プレゼントやお金の入ったクリスマスカードを手渡す。 教会などではバスでホームレスの人達を教会に招き、冬の間の宿と食べ物を提供する。 子供達がもらうプレゼントはサンタさんからのものだけではなく、クリスマスツリーの下に、いろんな人からいただいたプレゼントが毎日増えていく。 クリスマスの朝までプレゼントは開かれない。 クリスマスの朝は、みんなパジャマのまま居間に集まり、プレゼントのオープニングがスタートするというわけ。
値段やその物の物品としての価値というよりは、想いを届けるという感じだろうか。わたしも以前はクリスマスの前にはフルーツケーキやクッキーをプレゼント用に山ほど焼き、またクリスマスの飾りなどの手芸品をこしらえ、友人や近所の子供たち、保育所の先生方、文庫にやってくる子供達にと、ささやかなクリスマスの贈り物をあげたものだった。
プレゼントといえば、この日、あっと驚くプレゼントが届いた!何と存在感のある、強い主張を持ったバッグであること。わたしがいつも下げている薄汚れたバックパックや、古めかしい皮のバッグとはえらく世界が違うが、「どうよ!」と大きな顔して、気合を入れて持ってみたい気がした。
今日はこのバッグを下げて、夕方、同居人と丸の内にイルミネーションを観に行った。例のミレナリオは明日24日からということで、残念だったが、それでも街路樹に灯された美しいイルミネーションを楽しむことができた。 この街歩きもまたクリスマスの贈り物。
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