たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2005年10月26日(水) |
合瀬智慧子詩集『おりがみ』」より「秋の中で」 |
秋の中で 合瀬智慧子
こんな所に こんなに一杯つり舟草が咲いていたなんて
破れそうな花ビラを指にさし ちょっと触れても飛び散る実を 指で弾いて遊んだ幼い日々 あれは 秋だったのですね それで 今 一つの季節が 跡形もなく終わっていた意味が やっと分かりました
それらしい理由の一言も語れず 解り合う事もできないまま 息づくものすべてと 通う合う事を突然に止め しっとりと朝露を含んだ大地に抱かれ 昇り始めた太陽に まっすぐ顔を向けていた父に どんな言葉を呼びかければよかったのか
あの時 油ゼミが苦しく鳴く中で 何もかもが崩れていく音を 確かに聞いたのに 父の作業着を かすかに染めていた露草のインキが 後から後からあふれていたのに 季節が たった一つ移っただけだなんて 新しい季節の中で 父のために 新しい涙を流すことしかできないなんて
従姉の父親、わたしの父の兄が他界したのはわたしが12歳の夏だった。 確か脳溢血での突然の死。 ホウセンカの花の咲き乱れる庭先に倒れていたと聞く。 訃報を受け、家族5人、大分から佐賀まで電車で駆けつけた。佐賀へ行くのは父の継母の葬儀以来5年ぶりのことだったので、久し振りに会う従姉兄達がすっかり大人になっていることに驚いた。従姉兄達はわたしや弟が大きくなっている事に驚いたに違いない。確かにわたしは智慧子さんの身長をはるかに超えていた。そしてその時、彼女の身体が不自由であることも知ったのだった。親戚が方々から集まり、みなで夜中まで酒を飲み、ごちそうが並び、お祭りのようで、兄も姉もいないわたしは従姉兄たちといっしょに過ごす夜が嬉しくはしゃいでいた。
昔から父をよく知っている従姉兄たちは若い叔父である父を「マサトにいちゃん」と呼んだ。そこでは父はわたしや弟に見せることのない顔をして、わたしたちが使えない佐賀弁で話しをした。父が父でないような心細い気持ちと、親戚というものの存在の頼もしさとを同時に味わっていた。 父親を突然失った智慧子さんの心に触れたのはそれからずいぶん年月が経って、この詩を読んだ時だった。
その6人の従姉兄たちのうち、もう3人が父よりも先に他界してしまった。 親戚が家族が知人がひとりまたひとりとあちらの世界へ移されてゆく。 従姉の葬儀には家族を代表して母だけが行った。 痴呆の父は姪の死を知ることができない。
|