たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2005年09月14日(水) |
この世はすべて舞台だ |
去年の4月の日記に古楽音楽家、アントニー・ルーリーの「内なるオルフェウスの歌」(有村裕輔訳・音楽之友社)の本の事を書いているが、その本のことをひょんなことから思い出させられた。
この本の帯には
「この世はすべて舞台だ! 人はみな自らの内にオルフェウスを宿している。 その歌声に耳を傾けるとき、人生はひとつのパフォーマンスになる。 ―古楽界の奇才が繰り広げるパフォーマンスの錬金術」 とある。
この文もその時の日記に書いたが、あの時は本を出す前で、その言葉が響いたのだが、今はダンスや芝居をするパフォーマーとして、この言葉が響く。
――ここでは私が定義している「パフォーマンス」という言葉を定義しようと思う。ここで示すのは、ひとつの哲学的見解であり、パフォーマンス以外の何物でもないということだ。私たち各人が、ひとつの役や複数の役をある程度、自らの意志でもって、意識的に、自らの能力によって演じているのである。すべての行動、すべての種類の追求行為は「「パフォーマンス」と見ることができる。ややもするとこういう見解は、それからすべての自然さを取り去るように見えるかもしれないが、結局はこのことだけが、さらに大いなる自由へと導いてくれるかもしれない発見なのだ。私たちが自らの役割を、気配りと愛を持って、気楽に、意識過剰にならずに演じれば、己の芝居の中で自らが開花し、私たちの周囲も同じように開花するかもしれないのだ。―― <中略> 正式な「パフォーマンス」というものは、平凡な日常から私たちを引きずり出すための促進剤とか、有益な刺激剤としての役割を果たしており、同時に人間に体験がいかに並外れて豊かなものであるかを気づかせてくれる。すべての行為には驚異の感覚がつきまとうということを私は確信している。………
(以上、抜粋)
優れた「パフォーマンス」は、意識の高揚感、静止したかに思える時間、永遠へと繋がる感覚をもたらすことができるとルーリー氏はその本の中で語っている。
パフォーマーとしての自覚をしっかり持って過ごさなければ。 人間関係のつまづきなどに心を捕らわれてはいけない。
|