たりたの日記
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2005年08月01日(月) |
母のところから義母のところへ |
今朝は夕べ母のこしらえた肉じゃがを食べて義母の住む宮崎へ向かう。
今回は母の手料理をよく食べたな。わたしが父のいる施設に夕食を食べさせに行くので帰ってくるのが遅くなるからだ。 薄暗くなった道を自転車を30分ほどこいで汗まみれで家に戻ると玄関先においしそうな煮物の匂いがしているというのはいいもんだ。 こんな当たり前がしみじみと嬉しい。
さっきまで施設に居て、車イスに座って食事を口に運んでもらう老人達を見て来たから。
母がまだ台所に立ち、じゃがいもの皮をいくつもむき、二人では食べきれるはずもない鍋にいっぱいの肉じゃがを煮る事がありがたい。
じゃがいもの形の少しも崩れていない、玉葱のとろりと甘いその肉じゃがは子供の時の味のまま。
あの時は父と弟達がいて賑やかだったというのに、母は呼んでも声が届かないほど遠くにいた。 いえ遠くに居たのはわたしだったかもしれない。
歳を取るにつれ、母が近くなる。 もう少しすればわたしは母に甘えられるのだろうか。 わたしが母の甘えを頑固に引き受けようとしない理由を恐らく母は知らない。
母と別れて延岡までの高速バスに乗り、そこからは普通電車で宮崎へ。家に着くと義母はわたしを外で待っていた。2月に義父を見送ってから義母は元気がない。
冷蔵庫の食材を調べて夕食の献立を考える。冷凍の筑前煮用の野菜セットと鶏肉が見つかった。母が持たせてくれた採れたばかりの野菜も加えて筑前煮を作る。 久しぶりに調理したものを人と一緒に食べると義母は言い、食前の祈りの声が涙声になった。わたしはわざとのように威勢よく、お義母さん、焼酎をいただきますねと、慣れた手つきで芋焼酎の水割りを作る。
母はしきりとわたしが焼酎飲みになった事を苦にしていて、向こうでは飲むんじゃないよと何度も繰り返していたけれど。
母と義母の間に居て、わたしはわたしの25年後を心に描いてみる。
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