たりたの日記
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2005年07月10日(日) |
蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい |
「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」
このイエスの言葉を、若い日に小気味良い気分で聞いた。 まるで相反するような二つの生き物の対比、そのパーソナリティーの比較がおもしろいと思った。
<蛇のように賢くあれ>
ぽわぽわと地上5センチメートルのところを浮遊しているようなわたしにとっては、いわば戒めのような言葉。 さて、あれから月日はずいぶんと過ぎ、わたしは蛇のように賢くあるだろうか。 相変わらず、間抜けなわたししか見当たらない。
<鳩のように素直であれ>
わたしはどちらかというと、蛇よりは鳩であるかも知れない。しかし蛇の賢さを伴わない素直さはどこかでもろく弱い。
<人々を恐れてはならない>
説教者は語った。わたしたちは人を恐れる。なぜ恐れるのか、それは神を第一に考えていないからだ。神を畏れるならば、人に脅える事はないと。
そうだ。人を恐れるということは、神を第一にしていないということ。 わたしは、恐るるに足る者へ眼を向けず、恐るるに足らざる者を恐れている。
これもわたしの特質だが、わたしは人を恐れる。人から嫌われたり、疎んじられる事に必要以上に神経質になる。その態度の中にそれが見えたりすれば、その事が始終心から離れずに鬱々としてしまう。 その事が分かっているから、まず人から嫌われないようにという気持ちが働く。 たいていの人は自分から嫌わなければ嫌われるという事はないが、子供の頃、娘時代にはそれが通用しなかった。あるタイプの女の子から、言われもなく疎んじられるという事が稀にあった。女特有の、理屈のない嫌われ方なのだから、為す統べがない。 たいていがリーダーとして君臨しているような立場の女の子。で、わたしは家来のようにその傘下に入ろうとはしないから、女王様はおもしろくない。まして、彼女の取り巻きがわたしと親しくすれば、わたしの存在が疎ましくてしかたないに違いない。 なんだか最近、子どもの頃の苦痛を良く思いだす。
友達からの嫌がらせで学校へ行けなくなったUちゃん、あれからがんばって学校へ行っているようだ。わたしに会いたいと言ってきた。きっと彼女の胸の内には怒りや我慢が渦巻いているんだろう。木曜日に会うことにした。
< マタイによる福音書 10:16−33>
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。
また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。
引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。
実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。
兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。
また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。
弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。
わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
31 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」
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