たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
さて、またまた日記が滞ってしまったが、今日(6月7日)は何としても6月5日の皇海山 のことを書いておこう。
今回はダンスの仲間5人との山行き。この日、ゼミの仲間でも山行きが計画されていたが、ダンスのグループの山行は一ヶ月も前に決っていたので、今回はこちらに参加。前回5月4日の三つ峠山行きの時のメンバーだったmGは今回パス。新しくイケちゃんが加わり、メンバーの平均年齢は39才と若い。
前回同様、5時に上尾駅集合なので、mGが早起きに付き合い駅まで送ってくれる。途中ミツくんをピックアップし駅へ。メンバーが5人揃ったところでスズ隊長からコース変更の説明。実はこの日は秩父の両神山(1723m)に登る予定だったが、この日秩父方面はあまり天気がよくないので、群馬県の皇海山(2144m)に行き先を変更することととなった。こちらも百名山。次に登る山ということで、すでに皇海山行きの計画書もスズ隊長からもらっていた。定刻午前5時、クニちゃんの車に乗り込み、いざ出発。
上尾→東松山IC→赤木高原SA→沼田ICと予定通り快調。7時前沼田IC着。朝食休憩。みなはお蕎麦など食べていたが、わたしは朝食は軽く摂ってきたし、車酔いが気になっていたのでコーヒーだけにする。この判断は良かったかもしれない。
ここから140号経由で栗原川林道を走り、8時半、登山道入り口の皇海橋という計画だったが、紙の上ではこの栗原川林道がどういう道なのかは予想できない。スズ隊長は情報としては知っていたらしいが、5人とも初めての道。いやぁ、想像を絶する悪路だった。四駆だったからなんとか走れたものの、普通の乗用車ではすぐにパンクしてしまうだろう。とにかく身体が右左、上下にに揺れる。頭はぶつかるとそんな具合。行く先々に「落石注意」の看板。いきなり上からごろごろ岩が落っこちてくるなんてことも十分考えられそうな道。崖っぷちのようなところもあるし、ガードレールが壊れている場所なんかもあってヒヤリ!
「ここなんて殺人事件のロケ地に使われそうだよね」 「あっ、猿がいるよ。」 「窓閉めて走ろう、車の中へ入ってきたら大変」 「えっ、道が右と左にあるよ、サインはないし、どっちだろう」 「こっちじゃない」 「あっ、行き止まり、さっきの道だったんだ」 「この道もなんか怪しいなぁ・・・あ、道らしいところに抜けた・・・」
この道の途中に何台か車が止めてあるのに出くわした。恐らくこの悪路に辟易して車をそこに置き、歩き始めたのだろう。はっきり言って歩く方が楽な道だ。しかしこの林道は20キロ、いくら楽でもどれだけ時間がかかるか分からない。後でネットで調べてみると、この林道の途中で走るのをあきらめ、脇に車を置いて、歩いて登山口へ行った人の記録もあったから、この悪路こそが一番の関門だと言える。
単に高速道路を走るだけでも車酔いに悩むわたしは、こういう道など、もう途中で降りるしかないほど具合が悪くなるところだが、車に乗る前に飲んでいた酔い止め薬が効いたことは幸いだった。薬のため、ほとんど夢ウツツ。ふっと眠りの谷間に落ち、ゴンゴンと揺さぶられては、また眠りの谷間にスッと落っこちる。帰りに飲んだ液体の酔い止め薬はさらに強力で、身体は上下左右に激しく揺れつつも意識は谷底に落っこちたまま。眠くて目が開けられないほど。 「たりた、首あんなに揺れて、折れるんじゃないの。よく眠れるよ。ほんとオオモノだよ」とスズ隊長。 「ちがうって。薬が効いてるんだってば・・・」 谷底で身体は眠っていても、こういう眠りはどこかが覚醒してるのだ。自分に関する話題はちゃんと聞こえてくるから不思議だ。受け答えしながら、さらに眠りに落ちる。まぁ、醜態を晒したけれど、酔ってみんなに迷惑をかけるよりよかったんじゃない。 でもわたしはさらに「変な人」という印象を強めてしまったようだ。
さて話を戻そう。かような悪路、時間をずいぶんロスしたように思われたが、登山道入り口の皇海橋に着いたのは計画書どおり、8時30分。いよいよ自分の足で歩ける。身体は揺れに揺れてしっかりやわらかくなっており準備体操はすんでいるようなもの。ここから沢沿いのカラマツ林を1時間。沢の水音が耳に心地よい。登山道は沢の中を通っており、足を濡らさないように沢の中の石の上を踏んでは登ってゆく。途中ロープの張ってある険しい道もある。しっかり足と手の三点確保を意識して上る。1600mの中間地点あたりで10分休憩。昨日焼いて持ってきた、たりた特製バナナケーキを皆と食べる。
ダケカンバ・ミズナラの中をさらに一時間。ダケカンバの尖った枝枝がなんとも美しい。稜線のコルで、鋸山を見ながら10分の休憩。さてここからが本番。ほとんど直角に見える急登が一時間続く。さすがに息が切れる。しかしさすがに平均年齢39歳。若者のペースは速く、わたし達は予定の時間の30分前、11時30分には山頂に到着。昼食休憩。切干大根のハリハリ漬けとそのまま食べられるチーズ入りのソーセージはみんなといっしょに食べることができてよかった。
このグループは山頂の宴会をやらないから食事はさっさと済み、「じゃあ、温泉を目指して降りようか」と次なる楽しみへと向かい下山開始。あの直角の岩の壁を登りながら、これどうやって降りるんだろうと不安だったが、いざ降り始めると、それほど大変でもなくリズミカルに降りれるもんだ。確かにかなり緊張を要するが、登りの時のように息が切れることもない。しかし、こういう下りは酒を飲んで良い気持ちで降りたりすると、わたしなどは大変なことになるのかもしれない。下手にズブロッカや焼酎ををザックに入れてこなくってよかったと思った。
美しい沢や新緑のエネルギーを浴び、鳥の声を聞き、足元のスミレを愛でつつ、時に緊張しながら歩く山道。15時前、登山口へ到着。ここにはりっぱな水洗トイレが完備してある。またそこに登山台帳が置いてあり記入するようになっている。登り始めに記入したページに、下山した時刻を書き入れるのだ。無事に帰り付けたことを感謝。登山靴を脱ぎ軽い靴に履き替え、吹割温泉センター「竜宮の湯」へ。車で来ると、代わりの靴やお風呂の着替えなどを車に積んでおけるから良い。
ここのお湯はなかなか良いお湯だった。1時間半ほどそこでゆっくりし、来る時に見つけておいたイケちゃんお勧めのトンカツ屋さんへ。わたしは半ライスでもかなりの満腹度だったのに、隣のイケちゃんのカツ丼は普通の丼の4倍はあるような見たこともないような大きな丼に恐ろしい量のカツ丼が盛られていた。いったいこんな大量のカツ丼食べられる人がいるかしらと思ったが、、わたしが食べ終わってふっと隣を見ると、イケちゃんの丼はきれいに空っぽ。若いってことはこういうことだったのだと思い出した。その昔、わたしだって食パン一斤まるごと平気で食べてた時期があったもの。
上尾駅に着いたのは9時半くらいだっただろうか。mGが駅まで迎えに来てくれ、途中ミツくんを下ろし、ビールを買って帰る。結局家に戻るまでお酒は 一滴も飲まないという珍しい山行だったが、家で飲むビールのおいしかったこと。 みなさん、お疲れさま、今度は来月頭の富士登山だね。
【参考】皇海山(すかいさん)について
平安から鎌倉時代、日光を中心に庚申山、鋸山、皇海山など足尾山塊の山々は、勝道上人の弟子たちによって開山され、山岳仏教の修行地となっていったと伝えられる。 江戸時代、庚申山の奥の院として、鋸山と合わせて信仰登山が盛んになってきた。明治26年には、東京の庚申講中によって、皇海山項東方に青銅の剣が奉納され、現在も立派に残っている。故深田久弥氏の登山記によると、皇海山は遠くから眺めた形から推して、昔は笄山(こうがい山)と呼ばれていたが、そのコウガイが皇開と宛字され、やがて皇海となり、皇はスメラとも読むところから皇海はスカイと呼ばれるようになったと伝えられる。 皇海山は、故深田久弥氏の日本百名山の一座として、登山者から注目を集めるようになった。近年、群馬県利根村追貝の奥から栗原川林道が開放され、皇海山、鋸山への登山は時間が半分に短縮され、登りやすくなった。
(利根村の観光案内より)
|