たりたの日記
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2005年05月05日(木) 子どもぬきの「子どもの日」には

そういえば、今日は子どもの日だった。
そして今年は柏餅も食べず、菖蒲湯にも入らなかった。
今年は下の子も20歳になっているから、我が家には子どもがいないというわけだ。しかもこの春上の子も独り暮らしを始めたから、その存在すら目の前にはない。

柏餅、子供達が小さい頃に住んでいた公団住宅の前には大きな柏の木があった。5月になれば、その葉っぱを取ってきて、いくつも柏餅を作ったものだった。生の葉っぱにおもちがくっついて、かなり食べにくい柏餅ではあったが。
端午の節句の柏餅はなぜか食べなければならないものと思って、作らなくなってからも毎年どこかから買ってきていたのだが、今年はスーパーの山積みされた柏餅を買う気にはなれなかった。
そういえば、切らさないように買っていた子どものおやつの類も今は買うこともない。
しかし、彼らは一人暮らしになって食べ物には不自由していることだろう。
近い内に小包を送るとしようか。


さて、子どもの日のイベントはなくなったが、この日我々には子ども抜きのイベントがあった。
まず、朝のラテン、昼のエアロ、そして夕方からの宴会。宴会は先日のダンスのステージの上尾組みの打ち上げ。10人で楽しく飲む。30代前半から40代後半までの男と女。仕事も様々。水がいたり風がいたり火がいたり(これはあくまでアールユベーダの3体質)それぞれの発するエネルギーが実にユニークなので行き交う言葉や表情が何とも楽しい。音楽で言うならオーケストラでも室内楽でもなく、なんだろう、ジャズだろうか。ジャズの解放と緊張の解放の部分だけ?いろんな音が混ざり合っているという意味ではジャズっぽいかもしれないけれど、リラックスした無重力感はエリック・サティーのジムノペディーみたいな感じかなぁ〜。なんだか、ふわふわと優しくいい気分だったのだ。しがらみや建前に支配されていない風通しの良い関係がなせる業なのだろうか。

6時から始った宴会は5時間ほど続き、我々は初めて車の代行なるものを使って家まで帰った。

子ども達との賑やかでキラキラした、しかしクラクラもグラグラもする子どもの日がなくなっても、仲間とこんないい時間が持てる我々は幸せだと思った。


たりたくみ |MAILHomePage

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