たりたの日記
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午後6時、最後の英語教室の子ども達を帰してから駅へ急ぐ。 こんな遅く寒い夜に一人で早稲田まで出かけようというのだから、わたしって、ほんと物好き。しかも参加しようとしている文学ゼミは7時には始まるのだから、どうがんばってみても45分は遅刻。おおよそ一番要の講義の部分はほとんど終わっている。しかし、それでも行けば何か学べるし刺激を受けることができると算段しているのだ。
教える仕事をしていると、学ぶことに、ことさら飢える。ジムでインストラクターから指導を受けることや、講義を受けたり、いろいろな人意見を聞くことが心地よいのは、受けることでエネルギーをチャージしているからなのだろうか。
シャトルで大宮に出て、そこから池袋、大塚とJRを乗り継ぎ、都電荒川線で終点の早稲田まで乗る。そこから徒歩10分足らずで会場の新江戸川公園の松声閣に到着。緑色のビニールのスリッパがたくさん並んだ部屋の戸を開けるとストーブの燃える長机を並べた畳の部屋で、熱っぽい学びがすでに始まっている。
今日のテキストはカフカの「家長の心配」、「最初の苦悩」、「断食芸人」。 昨年9月から参加するようになって翻訳物は初めてだった。そういえば、ここ数年翻訳本をほとんど読んでいなかった。とても新鮮に感じたが、どこか掴みどころがないほど、この作家を遠くに感じた。作家の魂に触れている感覚が起こらない。なにか掴めそうで掴めないもどかしい感覚がある。ドイツの作家だからというのではないだろう。ヘルマン・ヘッセやミヒャエル・エンデ、神学者のバルト、といったドイツの作家に深く沈潜した体験があるもの。
それでも「断食芸人」は食い込んでくる作品ではあった。 始めに考えたのは、芸人、パフォーマーという人間についてだった。 自分を人に晒すということ、見られるということを生業にする人達。そこに共通するもの。自分を晒さずにはおられない欲求というものがあるのではないだろうか。そういう意味では私自身、パフォーマーであるかもしれない。芸と言えるようなものではないとしても、わたしはこうして書くことで自分というものを不特定多数の人の前に晒すことを良しとしている。むしろ晒したいという欲求すらある。
そしてカフカの描く断食芸人と同様、人から感心されたいと思う一方で、また感心されては困ると思っているのだ。なぜならこうして毎日のように書いていることは苦労でも何でもなく、そうせざるを得ない内なる欲求に従っているのであって、少しも取るに足るようなことではないことを熟知しているからだ。 断食芸人の中に見る自己矛盾はまたわたしの内にもある。
サーカス小屋で人に見捨てられた断食芸人は死ぬ寸前に、監督のすぐ耳もとでささやいた。 「うまいと思う食べ物を見つけることができなかったからだ。うまいと思うものを見つけていたら、きっと、世間の評判になんかならないで、きっとあんたや他の人たちみたいに腹いっぱい食っていたことだろうよ。」と。
出版への熱意もそれほどなかったのか、あるいは周囲がその価値を見出していなかったのか、カフカの作品は生前はほとんど出版されることはなかったが、全集数冊分に及ぶほど数多くの作品を書き残している。他になにもうまいと思う食べ物を見つけられなかったということがカフカの書くことへのモチベーションであり、言ってみれば、この断食芸人の断食にも似たものだったのだろうか。
では、わたしはどうだろう。 この作品の最後に出て来る豹。死んだ断食芸人のいた見世物の檻の中に代って入れられた、<生きる喜びが喉もとからひどく強烈な炎熱を持って吐き出される>一匹の豹。 カフカが羨望とも軽蔑や嫌悪とも取れる眼差しを向けているその豹にわたしは似ているかもしれない。書く事しかないというのではない。書きたい、踊りたい、歌いたい、教えたい、学びたい、まだまだ多くの「〜したい」に意識も時間も埋め尽くされている、貪欲な生。 幸せでめでたい人間だ。 幸せなあまり作品が書けないという不幸を負うているにしても。
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