たりたの日記
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ここを開くのは就寝前、たいてい夜中の12時過ぎ。 でも、今日は午後の陽射しの中で書き始めた。このPCで書く今年最後の日記だ。
午前中は庭の手入れをした。レッドロビンの生垣を剪定し、徒長したハーブ類の枝や、バラの枝も剪定する。 昨日植え込みをした白いランナキュロスとスノーフレイクの白い小花と、黄色のプリムラとグリーンイエローの桜草のような花(英語クラスのAちゃん姉弟からのプレゼント)はすっかりいい気持ちそうに土に馴染んでいる。 パンジーやビオラ、花キャベツなどの花々には肥料をたっぷりあげて、水もいつもよりたくさんかけ、花ガラなどを取りながら、留守の間元気でねと話かける。 花たちといっしょにいると、明日からこの家を離れるということがまた淋しくなってくる。旅に出る前にはきまって、どこにも行かないで、ここにいたいなぁと出かけることを厭う。出れば出たで、旅の気分を楽しむことができるのだが、旅の前日というのがいちばんやっかいだ。
わたしの生活空間。日常の中の日常ともいうべき場所なのだけれど、わたしにとってはここの生活がどこよりもファンタジーに近い。つまり世俗と遠い。で、いごこちが良い。
TVはつけないから、鳥の声とか犬の鳴き声とか、学校帰りの子どもの声とか、そんな平和な音だけが時折り聞こえる。窓の外の木々も家家も静かな暖かさを湛えていて、部屋の中には、整然と片付いているというのではないけれど、パッションを内に秘めたお気に入りの本やCDがひしめいていて、開かないまでも、音を出さないまでも、あたりにそれぞれの気(エネルギー)を溶かし出している。 どこの家にも、また場所にも、そこ特有のエネルギーがあって、それは自分のものとは異なる。だから出かけることや旅することで気分が変化するのだが、 わたしはきっと自閉的な部分が強いのだろう。穴の中の熊のように自分のエネルギーだけに包まれて安心していたいという気持ちが根っこのところにある。
11日間、わたしと夫の実家で過ごすことになるので、ダンボールの大きな箱に必要だろうと思われるものを詰め込んで宅急便に出した。いくら大きな箱でも、冬は衣類が嵩張りすぐにいっぱいになってしまうから、衣類でも何でも不自由を覚悟で、必要最小限のものに限る必要がある。今回はCDは「優しい森」ビデオはラテンのレッスン用、本はそれが手元にあれば幸せな気持ちなれると約束されているものを4冊。おみやげのお菓子の他には、わたしが毎朝食べるミューズリーとピーナツバター。カスピ海のヨーグルトは明日忘れないように、手荷物の中に入れる。
年賀状も70枚、夕べのうちに書き終えたし、やればもう、切りなくやるべきことはあるけれど、後はワイシャツのアイロンがけと夕食の支度をして無理やり仕事納めにしてしまおう。
というわけで、長い日記は当分書けません。左手の親指を駆使して、携帯電話で書くことと思います。
では明日は大分から。
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