たりたの日記
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2004年09月28日(火) |
よしやさんの葬儀前夜式 |
よしやさんの葬儀前夜式は、よしやさんが好きだったという教会讃美歌337番「やすかれ、我が心よ 主イェスは共にいます」で始まった。 これはシベリウス作曲「フィンランディア」の主題に歌詞を付けたもの。わたしも好きな讃美歌のひとつ。よしやさんの病気の事が分かってから、教会学校の礼拝の中でオルガンで弾き、また友人と共に歌った歌だった。
この礼拝の中で用いられた詩篇を記しておこう。 葬儀という儀式の中で、古から詠み継がれてきた詩をそこにいる人皆で唱和する習いは好きだ。 この詩を知る者も知らない者も、またキリスト者も、そうでない者も、共に声を合わせ、詩を交読する。 個々の思いが一つに集まる。
詩篇 90編 1〜12 (神の人モーセの詩)
主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ 山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神
あなたは人を塵に返し 「人の子よ、帰れ」と仰せになります 千年といえどもあなたの目には 昨日が今日へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません。 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。
あなたの怒りにわたしたちは絶え入り あなたの憤りに恐れます。 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせます 人生の年月は七十年ほどのものです 健やかな人が八十を数えても 得るところは労苦と災いにすぎません。 瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。 御怒りの力を誰が知りえましょうか。 あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。 生涯の日を正しく数えるように教えてください。 知恵ある心を得ることができますように。
聖書の箇所は コリントの信徒への手紙(二)、4章18節〜5章5節
「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。 見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。 私たちの地上の幕屋が滅びても、神によって建物が備えられることを、私た ちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかで す。私たちは天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上 の幕屋にあって苦しみもだえています。それを脱いでも、わたしたちは裸の ままではおりません。この幕屋に住む私たちは重荷を負ってうめいておりま すが、それは地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずの ものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着た いからです。私たちを、そのようになるのにふさわしい者としてくださった のは、神だからです。」
S牧師による説教「永遠の住みかを着る」の中で、この聖書の言葉が解き明かされ、よしやさんの死がけっして空しいものではなく、苦しい地上の幕屋から解き放たれ、いよいよ永遠の住みかを上に着たということを告げられる。 花に囲まれ、遺影の中で笑っているよしやさんの、これは門出を祝う時なのだと、またその思いを強くする。
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