たりたの日記
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2004年08月08日(日) 神の前で豊かであること


「ある金持ちの畑が豊作だった。
金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「 さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」 と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」


ルカによる福音書、12章16節から21節までの、イエスが群衆に語ったたとえ話のひとつだ。今日の礼拝で読まれ、語られた箇所だった。


 <説教を聞きながらメモした事>

あなたは何をいちばん自分にとってかけがえのないものとしているか。
神の国が来ているのだから、神の国に生きる者となってほしい。
金もちとは、最も大切なものを第一にしない生き方の象徴。
神の前で豊かであること、それは物質的な豊かさではない。
社会的な地位や名誉でもない。
命への感謝、感謝は愛する心を呼び覚ます。
それは一度手にすれば永遠に自分のものになるというようなものではなく、日々新たにされて、真の知識に達するという生き方。



神の前で豊かであること――このフレーズが新しく飛び込んできた。
きっとこれまで読んだ時には素通りしていたのだ。
ではわたしにとって神の前で豊かであるためには具体的にどうすれば良いのか。繰り返し新しくあの方の前に立つという事だろう。問いかけも感謝も、内から迸り出るものも、何もかも、新しくありつづけることだろう。
それをこの1週間の課題にしよう。


明日からよしやさんが肺癌の治療のために入院する。
彼は3日前からWEB日記を始めた。「書くことで励まされる事が分かりました。日記を書く事を勧めてくれてありがとう」とメールが届いた。彼はこれまでライブで演奏活動をしてきた人だ。演奏ができなくなった今、書くという自分を外に出す行為は彼にとってとても意味あることだと思う。もうよしやさんは気がついただろうか、WEB日記を書く事はある意味、聴衆を前にその時の自分をそのままに開くライブだと。



よしやさんの日記・泣いて 笑って 空をみて ぜひお読みください。いつもはロックのバンドの中でアコーディオンを狂い弾く彼のライブですが、これは激しい闘病のライブです。そこにじっと目を凝らすと、わたしたち一人一人を生かしている命の源が見えてきます。
そしてどうぞ、彼の闘いのために祈って下さい。




たりたくみ |MAILHomePage

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