たりたの日記
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2004年07月17日(土) |
キャスリン・ハリソン著 「キス」 |
昨日たまたま本屋で見つけたキャスリン・ハリソンの「キス」を読んだ。
その本の表紙の少女の、意志の強さを表しているとも見え、深い孤独の淵にいるようにも見え、また全身で問いかけているようにも見えるモノクロの写真に興味を持った。
いったいどこでだったのだろう。この写真に見覚えがあるのだ。97年に刊行されたこの著書がアメリカでベストセラーになったというから、どこかの本屋に平積みされていたのや、ショーウインドウにディスプレイされていたのを見たのかもしれない。
読み終えてまず思った事は、この作者のことを何も知らないわたしが、作者の存在の核にある痛みを知ってもよかったのだろうかということだった。 その事実の重さに眩暈と落胆を覚えた。 しかし、これは目を据えて見るべき、その声に全身を傾けて聞くべき、ひとつの人間の姿、ひとつの人間の真実である事には違いない。
母親の愛を求め得ることのできなかった少女は、20歳になって再会した父に恋し、許されない愛を交える。愛への渇望の故に、自分を支配しようとするもうひとつの愛に囚われるという図式。近親相姦という狂気。
家族の抱える病や、人間の内に住む悪魔的なものが浮上してくる。そうして、著者はその暗闇からともかくは脱出し、一人の女性として成長する。また著者は自分の中にその固い扉の中に自分を閉じ込めることを止め、それを書き切り、外の世界に放つことで、自らを解放しようと試みたのだ。 一人の女性の成長の記録。
この本がスキャンダラスでショッキングな暴露本ではないのは明らかだ。 自分自身を、また母を父を徹底的に洞察し、分析する著者の目は心理学者のようであり、言葉は深く、メタファーに富み、その表現は詩人のようだ。 作家が、そのことを書かなければ乗り越えられない自分自身の過去の傷を、ひとつひとつ抉り出し、その時の彼女の心に深く入り込んで書き綴ったその物語は、虚飾のない真摯さと美しさに満ちている。
この物語は読む者を興味本位な他者の位置には置かない。 人間の弱さや哀しさを自分の事として、その痛みを共有せざるを得ない。
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