たりたの日記
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| 2004年07月01日(木) |
「幻世の祈り」を読みながら |
今日はオフ、で、ジム日。 ジムへはたいてい仕事から帰ってきたmGと夜遅く出かけるのだが、仕事のない木曜日だけは、自転車を25分ほどこいで一人でジムに行く。
まだ気管支炎の薬も飲んでいる身なので、ラテンエアロ一本だけにし、その後、プールを歩きながら、昨日読んだ本について考えを巡らす。 そう、考えたい時にはわたしはプールを歩く。 しばらく歩いて、プールサイドのベンチで、家族狩り、第一部の「幻世の祈り」を読み始める。 プールを出て、サウナでも読む。サウナに10分いるのにはかなり忍耐がいるのに、本を読んでいるとあっという間に12分が過ぎた。 その後、ドトールで遅い昼食を取りながら、また読む。 今日一日、なんだか、執りつかれるように読んでいて、まわりのことがすっかりすっとんでいて、時間の経過も分からなくなっている。
自転車をこぎながら、しきりに考えて、家に戻ってから、第二部の「遭難者の夢」を読み始める。変な読み方をして、先に三、四、五部を読んで結論を知っているのに、やはり興味深い。登場人物の事が、よりクリアになってきて、物語が必然性を帯びてくる。
登場人物のひとりひとりの向こう側にある家族の問題が浮き彫りにされてくるのだが、それはけっして遠い世界の出来事という気がしない。わたし自身の家族の中に、人間関係の中に、同様の病や危うさが確かにある。それが表面に現れなかったのは、ラッキーなことだったが、いつでもバランスを崩しうる。今後、何事もなく家族に平和が続くという保証はない。人間それ自体が、非常にもろく、壊れやすいものだからだ。 家庭の中の不和、離婚、失踪、暴力、自殺、他殺、そこへ陥る危険は、どの大人にも子どもにも潜んでいる。
それを、どう回避するのか。自分をコントロールすること。真に愛することがどういうことなのか知ること。人の痛みに対して敏感になること。 家庭の中でこそ、わたし達は人と共に生きること、自分を生かし、他を生かす道を訓練されるのだから。 これまで、見ないようにしてきたこと、考えの外に締め出してきたことがないだろうか。シロアリが知らない内に家屋を内側から侵食し、気が付いた時には手遅れになっている。心を蝕むものの芽に対して鈍感でいては、怠慢であってはいけないと思う。 必要なことにきちんと向かい合う勇気と、祈りを持ち続けなければ。
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