たりたの日記
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2004年04月16日(金) 初校校正の一日

昨夜、編集部から初校レイアウトが送られてきた。
今まで、横書きで書いたものが、縦書きの本の体裁になっている。
それをプリントアウトすると、紙に印刷された本という感じだ。

実際、読む時の気分が違っている。本として読む。すると、それまで気にならなかったところが見えてくる。だいたいは書きすぎているところ、不必要なところだ。
書き手としてではなく、読み手の側から読むからなのだろう。
本人は書きたくても、読む方は必ずしもそれを必要としない場合がある。
話しの筋から外れたり、蛇足は、読む気持ちをダウンさせることだろう。
じゃ、削除!と思い切って割愛すると、でも、このことは書いておきたかったことだったと、書き手側の自分が「待った」をかける。
さて、どっちを取るか。徹底的に読み手の側に立つのか、自分自身の記録として、書き残そうとするのか…

わたしが好きな作家というのは、どちらかと言えば、読み手の思惑など考えずに、その人が書かなくてはという思いに突き動かされて書いたもの。高橋たか子なんて、読み手のウケなんておおよそ頭の中にはないだろう。
ふむむ…ムズカシイ

そんなことをあれこれ考えながら、今日は日がな一日、校正を続けた。
夕方、ゴザンスライターズニュースが送られてきた。そこの最後のところに、わたしの「育つ日々」が紹介されていた。

これは担当者の編集者、Sさんが書いてくださったものだろうが、ずいぶん深いところで、わたしの書いたものに共感し、評価してくださっていることがしみじみと嬉しかった。
本と一口に言っても様々なものがあるが、その様々な本の中で、「育つ日々」はどういう位置づけにあるのか、改めて確認することができた。

わたしはわたしの世界をそこに展開するわけだが、わたし以外の人にとって、それがどういう意味を持つのかというところが、自分ではワカラナイ部分であり、不安を引き起こす震源地でもあるのだ。

そういう意味では、ようやく不安や恐れから開放されたような気がする。今日は一日、自分の書いたものに向かい合いながら、それが少しも苦痛ではなかった。
もう深夜の1時を過ぎてしまったが、体のことを考えなくて良いのなら、このままずっと作業を続けて行きたい気分だ。

昨日と今日にかけて、BBSとメールで25部の予約が入った。
その本を手にも取っていないのに、申し込みをして下さる方々に、感謝の気持ちでいっぱいになる。どうもありがとうございます!

本を創るということに付随して、わたしはずいぶんすばらしい出会いや経験をしている。そして何より、このことを通して、また育っていくわたしが在る。


たりたくみ |MAILHomePage

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