たりたの日記
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2004年03月28日(日) |
身体が”祭り”になっていた |
あたしは”祭り”は好きだろうか。 子どもの頃は確か好きだった。 その後、いつからか祭りに興味がなくなり、 気が付けば”祭り”が嫌いになっていた。
そういうあたしであったが、昨日の”祭り”は何か心待ちにしていた。その楽しみも手伝って、前の日に一日中、原稿のことをやって、リライトと校正を終えたものを、夜になってえいやっ、とばかり送信した。 「入稿」してしまった… きっと、この後がまた大変なんだろうと覚悟はしてるが。
さて”祭り”はあたしが毎月25日を担当している心太の「心太祭 り」。 心太日記を書いているアーティスト達によるライブだった。 わたしはそのアーティスト達の書いた言葉を通して、そのアーティスト達の音楽や詩や歌、それらを生み出す仕事やら生活やら、また決意やらを知っている。だから彼らの産みだすものにはなみなみならぬ関心と愛着がすでに培われているわけである。まだ触れぬ前から。
”祭り”に心は沸いた。浮かれていたかもしれない。思わずいっしょに歌ってしまって、あたしの横にいたmGから肘でっぽう(これって、なにげにすごい言葉ね)でつっつかれた。
奄美大島の島歌を、きっとその土地に行かなければ聞くことのできない歌を聴いていて胸が高鳴った。歌はその土地を離れているのにその土地の力を帯びていた。きっと歌い手の身体の中に、歌の命が伝承されているからなのだろう。
詩が読まれ、そこにギターが、太鼓が、サックスが、鼻笛が入り組み、絡み合い、それぞれがほとばしる熱を帯び、激しい音の中に、また言葉の中にも、きーんと冷えた静寂があって、わたしはそこが自分の場所のようにずぶずぶと沈みこんだ。ここちよかった。
わたしは”祭り”の中にいて、身体が”祭り”になっていた。
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