たりたの日記
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2004年02月12日(木) 義父と過ごす

昨日から同居人の実家で義父と二人で過ごすという初めての体験をしている。今のところ、つつがなく時間は過ぎ、我が家では煎れることのない目覚めのお茶を煎れ、我が家では作ることのない朝の味噌汁も煮干と鰹節の出しでおいしいのを作った。なんだか主婦という気がする。やれば出来るんだ、わたしにだって。

しかし我が同居人はこういう主婦らしい振る舞いが好きではないらしく、わたしにそれを求めない。求められないのに、押し付けたりもしたくないから、朝はそれぞれのスケジュールに合わせて、それぞれが自分の面倒を自分でみる。あ、でも彼は言うかもしれない。時々身体にいいからとフルーツとカスピ海のヨーグルトとミューズリーの朝ごはんを押し付けられるって…時にはね。
朝ぎりぎりまで寝ていたい彼は、スローフードの朝食はご迷惑なのだ。
あれは食べても食べてもなくならない。確かに。

昨日、2月11日は実は結婚記念日だった。確か23回目。
3年前の結婚記念日も一泊旅行でもと相談していた矢先、義父が入院。同居人が単身実家に戻った。あの時はかなり深刻な状況だったが、今回は義母の入院は外科なのでずいぶん気が楽だ。

結婚記念日なのだからせめてもと、同居人が羽田空港まで車で送ってくれ、空港でお昼をいっしょにすることになる。というわけで、重い荷物を抱えて満員電車に乗る苦労から開放された。お天気も良く、道路空いていて気分はしばしバケイション。軽やかなジャズピアノが窓の外を走る過ぎる景色と呼応して心地いい。あのピアノの音は覚えているものの、NYで活躍している日本人という、そのピアニストの名前は忘れてしまった。

展望レストランでの食事はボーイさんの洗練された動きや、しっかりした織のテーブルクロスが気持ちよく、14時のフライトまでの時間をゆっくりと過ごすことができた。

でもひとつだけ悲しいニュースがその最中に飛び込んでくる。食事の後ノートパソコンを開くとアメリカからのメールが入っていて、友人のジョイから、教会のオルガニストで聖歌隊の指導者だったジュリアがクリスマスを前に亡くなったという知らせだった。毎年必ずまっさきに届くジュリアのクリスマスカードが今年は届かず、どうしたのだろうと思っていたのだった。ここ10年の間にわたし達が所属していたルーテル教会のメンバーが知らせを受けただけでも5人いる。その誰とも親しく言葉をかわし、いっしょに歌ったり食事をしたり、家にも招かれたりしたのだった。けっしてみんなが年老いていたというわけでもない。病死や突然死。ジュリアの葬儀は2月28日ということだ。行けるものならば行きたいところだが…。

そういえば、一度ジュリアから頼まれて、教会の葬儀でバイオリンを弾いたことがあった。
あの時、彼女が選らんだいくつかの曲はすばらしく、彼女の弾くパイプオルガンに合わせてその曲を弾きながら、わたしは亡くなった方と何の面識もないというのに、涙がこぼれた。



夕方、宮崎の実家に到着。この日は祝日で食事の宅配が休みで、かわいそうに義父は朝も昼も食パンで済ませたという。急ぎ食事を整え、いっしょに夕餉を囲む。その後、タクシーで義母の入院している病院へ。骨折の手術の経過も良く、わたしがいるうちに退院できるかもしれないということだった。

義父は毎日決まって午後4時から夕食の時間の6時間ではビデオに録画した洋画を見る。昨日は「真昼の決闘」だった。今日のはフランスの映画。かなり大きな音でTVが鳴ってはいるがフランス語だからちっとも書くことにじゃまにならない。日記を書くことができてよかった。さて、そろそろ夕食の支度。
今夜は9時に義父が寝た後、久し振りに原稿をいじる時間が持てるかもしれない。





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