たりたの日記
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2003年10月04日(土) |
20代に遡って生きてみる |
今日は朝からすっきりとすがすがしい気分だった。 秋の澄んだ空気と柔らかな陽射し、何の予定も入っていない土曜日だということもあるが、何よりの理由は抱えていた課題を終えたことにある。
原稿を書き終えた。 いつも、ほとんど独り事のように書いてはろくに読み返すこともしないわたしが、珍しく、考え込み、推敲し、読み返し、さらに書くという作業をした。本来書くということはそういうプロセスを要求されるということすら忘れてしまっていた。恥ずかしい話である。苦労しなければ喜びを得ることはできないというどこかの国の諺があったと思い出した。
21歳の時に遡って書いた。 何と今の息子の年である。 ほとんど記憶の片隅に押しやられていたことがらが、不思議なように生き生きと甦ってきた。甦ってきただけではなく、しばらくの間、タイムスリップしたようにその時の自分に戻っていた。
時は進み、けっして逆戻りなどはできないが、内なる時間というものはまた別の動き方をする。過ぎたはずの時の中に容易に自分を置くことができるのだ。それは時間に限ったことではない。もうこの地上のどこにも存在しない場所へだって戻ることができる。時も空間も自分の内にきちんと存在しているのだから。
おもしろいのは、その時には見えなかったことが今は見えるということ。時の流れがそうさせる。それだから、過ごしてきた時間を、また愛しいと感じる。
ところでなぜ、子どもの頃のことでもなく、30代の頃のことでもなく、20代なのだろう。そこへ戻ってみたいと思った理由は... そこへと促されるわけは...
わたしの魂が今それを必要としているのだ。
以前からわたしは自分の産んだ子どもの年齢と共にその時の自分を生き直していると感じてきた。そうだとすれば20代という時に自分をシンクロナイズさせようとするのはむしろ当然のこと。
夕べはとうとう連絡もなしに外泊した我が家の21歳が、たった今戻ってきた。彼には彼のストーリーが展開しているわけだ。 彼のリアルタイムの20代とわたしの心理的なそれとがどうかかわりあうのか ちょっとおもしろい気がする。
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