たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2003年09月17日(水) |
アクエリアムに魅せられて |
アクアエリアム(aquarium) 魚や他の水に住む生き物たちのためのガラスやプラスティックでできたケース または水に住む生き物を見せる場所、つまり水族館。
日本にアクエリアムがやって来た時、誰かが水族館という名前を付けたのだろう。でもこの言葉の響きが水の中の生き物たちの夕雅な動きとなんとなくそぐわない気がしている。
アクエリアム、この言葉は透きとおった水を透明なガラスの中に閉じ込めたその特別な空間を表し、そこにたゆとう生き物たちの呼吸まで伝えてくれるように感じる。
金沢での2日目、水族館が好きだという甥のことを考えて弟が出かける場所をのとじま水族館に決めてくれたことはラッキーだった。おおよそ大人向けの場所ではないものの、わたしはどんな観光の場所よりもそこが好きだったと思う。
魚たちを見るにはたっぷりした時間が必要。絵だってそうだけれど、魚や水の生き物達は絵と違って動きがあるから、その分、絵の数倍の時間が必要と思うのだ。
そういう意味でもいっしょに歩く相手が甥のYであったことはよかった。弟に言わせると、Yはひとつところからいつまでも動かないでじっと見入っているから、なかなかよその人とはいっしょに行けないらしい。遠足などで水族館に来たYは立ち止まりたいところでも立ち止まれず、泣きたい思いをしただろうことがあたしには分かる。 伯母のあたしはどこかYと似ているのかもしれない。 魚たちを見ていると日がな一日、たったひとつの水槽の前にだって居れそうな気持ちがするのだった。
魚は魚で完全な形の美しさと動きの美しさを見せてくれるが、例えば、一見グロテスクなカニにしたところで、その8本の足の、その微妙な動きの美しさったらない。ウミウシの不思議さ、ヒトデの魅惑。どういうわけで海の中の生き物はこうも美しい形や動きをしているのだろう。
さまざまなアクエリアムの住人たちの中でもわたしが決定的に恋に落ちたのは クラゲたちだった。あの刺されると痛い、物のよっては猛毒を持つと言われるクラゲだが、その姿とその動きにまったく魅せられてしまった。
ミズクラゲのぷかりぷかりと浮かび上がる様子も幻想的で好きだが、アカクラゲの触手の動きはそれはみごとなダンスを見るようだった。 水そのものには動きはないが、クラゲたちの動きは水というものを伝えてくれる。
水、すべての生き物の生まれてきたところ。 この水の中の動きに魅せられるのは、それが遠い昔の、我々の命の源へとつながっているからなのかもしれない。
クラゲは水の中の生き物の中でも、命が生まれた最初の形をとどめている生き物らしい。そういう意味では、その動きがすべての生き物のの始まりだったと言えるのだろうか。
アクアエリアム、いつだったか池袋のサンシャイン水族館では夜水族館の中で寝袋持参でお泊りできる日があると新聞に出ていた。夜、魚達を眺めながら眠りにつくのは瞬く星星を見ながら眠りにつくのと同じくらい素敵なことに違いない。
あちこちのアクアエリアムを訪ねてみようと思っている。
|