たりたの日記
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2003年08月31日(日) |
なぜ、「月夜のうさぎ」なわけ? |
このエンピツ日記には投票数ランキングの他にアクセス数ランキングというのがあり、その日の日記へのアクセス数が多い順に200までのランキングがなされている。わたしはこの200位のうちにめったに入らない。ところが昨夜から今朝にかけて日記のカウンターが100近く動いていたので、もしかするとと思い調べてみると昨日のアクセスランキングは90viewで192位だった。これは言うまでもなく、「松本効果」だ。文芸ジャンルで日記を書いている今のところ上位3人のマキュキュ、あさみ、たりたが初顔会わせをするっていうので、読者の興味と関心をひきつけているのに違いない。
ところでこのランキング、重複を避けて一人一回しかカウントされないから、90人の方が昨日の午前10時から今朝の10時までにいらしてくださったことになる。 「ふうーっ」 うれしいというよりは恐れおののく気分が起こる。自分の書いた言葉の連なりがこれほどの数の人から読まれたということが。 そしてそのことでまた励まされる。
つい先ごろ、「たりたさん、ランキングとか、気になるの?」と、同じくエンピツで書いているある方に問いかけられてしまった。彼が言わんとすることが分るので、一瞬足もとをすくわれた感覚が起こり返答に困ってしまったものの、その後、気を取り直してこう答えた。
「気になるよ。だって自分のノートに書いている日記じゃあなく、読んでもらうために公開してるんだからね。もちろん票を集める為にウケを狙って書く気持ちはないけど、あたしが書きたい気分で書いたことがどれくらい受け入れられているか、おもしろいと思ってもらえるのか、それはある意味で票数に表れるわけだから、気になるよ」と。 それ以上の突っ込みを入れられなかったのは幸いだった。案外こういう些細なことからでも書く勇気がそがれてしまうものだから。
今回松本でマキュキュとあさみという二人の日記ライターとオフで出会えたことはほんとうによかった。こうしてしばらく時間が経ってみると今回の出会いで日記を書いてそれを公開するというひとつの行為をとても勇気づけられたことを知る。そこにあるまだ自分でも気が付かない、意味や可能性、その広がりを垣間見たような気がしたのだ。
それはこの時代に起こりつつある今までにない人間関係だったり、文章を書き、それを読んでもらうことへの新しいアプローチだったりするのだが、圧倒的に既成概念や枠組みをはずれた、より自由な人と人との繋がりの有り様を目の当たりにしたと思った。
昨日の日記のタイトルに「月にうかれてはしゃぎまわる6匹のうさぎの図」と書いた。 確かにわたしの頭の中にはパステルカラーの幻想的な月とうさぎ達の絵が浮かんでいたのだ。果たして、その絵は何を意味していたのだろう。
ファンタジー、
そう、一言で言うならこの言葉に尽きる。 わたしが日々こうして多くの人の目に留まるべく、いわば使命感にもかられて文章を綴っているのはわたしたちのこの命が、この何の変哲もない日常がいかにファンタジーに満ちているかということを伝えたいと思っているのではないかとふと思った。
文学を求める、音楽を求める、美しい絵を求める、わたしたちは自分自身の日常の中でそこにはないいわば、ファンタジーを求めているが、わたしたちのこの一見みじめにさえ見える日常の只中にファンタジーが混ざり込むことがある。目に見えないものを愛し、目に見えないものを信じる時、愛は形さえともなって傍らにやってくる。現実がファンタジーそのものになる。
松本オフは現実の中にファンタジーが入りこんだ、まさにその時だった!
それだからこそ、わたしにはそのイメージが月の下で跳ねるうさぎたちだったのだ。
マキュキュは、まるで見えるような映像をその文章の中で伝えることができる。松本オフの時間を追っての描写はマキュキュに委ねることにしよう。その時の気分を生き生きとエキサイティングに伝えるあさみは松本オフの模様をエンターテイメントに仕上げて読者を楽しませてくれるだろう。とすれば、わたしは二人の日記を読みながら、あるいは松本オフの映像を巻き戻しして心に浮かんだこと、考えたことを思うままに綴ってみることにしよう。
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