たりたの日記
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2003年08月27日(水) カキコの途中にすごいテンションで割り込んできた青年Hは

さて、もう十二時を回ってしまった。
今日は日記を新しくするつもりでここに来たものの、今日という一日の、さてどこを切りとるとしようか。

午前中に家事をし、昼食用にありったけの野菜や海草を使って冷しゃぶサラダを作って、いくらたっても起きてこない大学生二人を起こして食事をさせ、仕事にでかけた。

今日のクラスは幼児とお母さんのクラスと年長児クラス。仕事が終わってからバイブルクラスの仲間4人と食事会。タイ料理、ベトナム料理、フィリピン料理と様々なアジアンテイストを楽しみながらおしゃべり。

そういう一日を過ごして、11時過ぎからPCに向かう。自分のHPをチエックし、友人たちの日記やBBSを読み、書き始める。わたしがこのモードに入ると、もう何を言っても上の空となるから、家族はわたしに話しかけようとはしない。実際してもらっては困る。

ところがである、アサミンジャーの日記を読んで感じたことを、かなりテンションを高めて書き始めたところに、わたしのテンションより数倍高いテンションで顔を高揚させ、読みかけの「エグザイル」という本を抱えて青年Hが割り込みをかけた。彼はPCを打っているわたしの眼の目に座り、こちらのことはまるっきり無視してまくしたてはじめた。

こうなったら聞かないわけにはいかない。彼にとってはイチダイジなことだろうから。もしわたしがPCのキーボードに目を落としたり、あるいは目を落とさないまでもキーボードを敲こうとするならば、こんな大事な話を無視するのかと母親の姿勢を非難されることは分っている。

その話の中味はここには書かないが、その本を読んで、どうやら自分の進路というか方向についての示唆を得たらしい。その熱っぽさには何度も当たってきたからそれほど驚くことでもないが、心が大きく動いていることだけは確かなようだ。彼がその気になっているほど、これが運命の分れ道などとは思わないものの。

青年Hは一時間ほどほぼ一方的に話すと、ここを離れていった。
さて、中断していた掲示板への書き込みの続きを書き始めたものの、始めに書こうとした気分がすでに別のものになっている。それでも続けて書くとこういう文になってしまった。

今日一日のどの場面を切り取るかといえば、この中断も含めた書き込みの部分だという気がする。心が最も動いたということで。


<アサミンジャーのBBSに書いたこと>

自分の中に、自分とはあずかり知らぬ別の人格が出てくるということ、体験してます。でもこれはおそらくはほとんどの人が多かれ少なかれ体験している範疇のものであることは分ります。

どうにも制御が効かない自分に向かっていると、わたしの中に別人格が入り込んでいるとしか思えず、「悪魔よ出て行け!」と声に出して叫んだことがありました。我ながら物凄い迫力ある声で。そうすると不思議なことにそのわたしを捉えているものがすっとひいたのを感じました。

あさみちゃんの日記を読みながらその時の状況がありありと浮かんできました。

きっとまたあると思うの。自分自身がどうにもならない力に支配されていると感じる時が。でも今は変に自信持ってて、「来るんなら来なさいよ。負けちゃあいないからね。わたしを支配することなんてできないわ」と全面対決の構えです(笑)

私自身の平安を揺るがすもの、神の存在を疑う気持ち、自分自身の存在を不確かに感じてしまうような底なしの虚無感、そういうものはいつでも心に侵入してきては私を打ちのめそうとてぐすね引いて待ってる。わたしだけのことじゃあないわね。一見健康そうに見える人間だって等しくその危険を抱えているんだと思う。

でもね、自分自身に対してそういう恐れを持ち、脅えている人間はある意味、そうでない人よりも強いのかもしれないと思うことがあります。

聖書の中でパウロが言ってる言葉でいつも自分に言い聞かせてる言葉があるんだけど、それは「あなたは弱い時にこそ、強いからである」という言葉。
あさみちゃんの不安や恐れ、またそれを感じつつも、何とか闘おうとふんばっているのが今日の日記からも伝わってきますが、そんなあなたこそ、本当の意味で強いのだと思います。

でもね、一人でがんばりすぎないで、送られてきた天使を見方につけたり、具体的に祈ったりしながらね。
あたしもあさみちゃんは統合を果たすことができると思います。
根っこのところでとても健康なエネルギーを持っているもの。

これを書いている間に我が家の青年Hがなんだか、すごい人生論抱えてあたしの目の前で一時間ほどまくしたてていったので、なんだか意識が中断させられてしまった。
はじめに書き始めたことと、つながらなくなってはいないだろうか。


彼は20代を始めたばかり。
あたしは最後にこういう風にいいました。

チューリップはチューリップとして咲かなくちゃならないし、タンポポはタンポポとして咲かなくちゃならない。自分がどんな花なのか、勘違いしないようにきちんと把握して自分の花を咲かすべくいっしょうけんめい生きるんだったら何も言わないよと。ただその方向を見出すためには自分の力に頼るんじゃなくて、祈ること、祈って聞くこと、進む方向を。

なんか、変なカキコだなあ〜。汲めるところがあれば汲んでくださいまし。





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