たりたの日記
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2003年07月19日(土) わたしって骨フェチ?

最近、江国香織の「流しの下の骨」を読んだ。この作家に関しては女優のように美しく雰囲気がある人ということしか知らなかった。いつだったか、本屋で立ち読みした雑誌に特集が組んであって、この作家の歩いているところや横顔の写真がいくつも載っていた。若い女性に人気のある作家だということもその時知った。しかし、わたしは若い女性ではないし、と、その時点ではこの作家までは行き着かなかった。

しかし、先日のこと、本屋でその日電車で読む本を物色している時に「流しの下の骨」というタイトルに捕まってしまった。流しの下にころがる様々な形をした骨、その頭に浮かんでくる絵にうっとりとしてしまった。どんな奇妙なストーリーがそこに展開されているのだろうと、わたしはその骨のイメージの鮮烈さの故にこの作家へ近づいたのだった。

果たしてそのストーリーはわたし好みの「みょうちくりん」がちりばめてあった。6人家族の日常。それぞれの世界、その家の独特な匂い。わたしが期待した流しの下にばらまかれた骨の風景はいくら読み進めても出てこなかったが、その家族の構成員の有り様に心から満足し、それはおいしく読んだのだった。驚いたことにこの家族の中の「わたし」はわたしが子どもの頃に抱えていた「すーん」とする気分を知っていた。わたしのその言うに言われぬ感情に初めて「すーん」という名前がつけられたようでこの作家に多大なシンパシーを抱いてしまったのだった。

で、「流しの下の骨」は思いがけないところで登場した。そして、その時はたと思いあたることがあった。わたしはこのフレーズをすでに知っていたと。知っているどころか、くりかえしわたしの2人の男の子たちに語ってきたと。おそらくは、この本の中で聴こえたのと似たような音声で
「流しの下の骨を見ろ!」と。確かにそう語るわたしの目は流しの下に散乱する様々な形の美しい骨を見ていたのだ。

話は変って今日の午前中のこと、わたしは整形外科へ行った。きっとダンスやエアロで痛めたのだろうが、左の足の甲が時折り、きりりと痛むので見てもらったのだ。まず、レントゲン写真を撮った。でき上がった写真を医者が光りに透かせて見せてくれる。その足の骨を見た時、一瞬感動が走った。なんという美しさなのだろう。様々な形の骨、そのバランス、整然と並んだ形。足の指の骨の小さくまるみをおびたユーモラスな形。結局、「どこも悪いところはなく、別に心配はいらないでしょう。暖めてマッサージしてください。」と医者は言う。はいと上の空で返事をしながら、この写真を持ち帰ることはできないだろうかと考えていた。もらい受けることはできないにしても、貸し出しくらいはしてもらえたかもしれないと診察室を出た後、後悔する。


病院の帰り、ブックオフに立ち寄る。今読みたい本は骨が縁で出会った江国香織氏のもの。昨日、駅の構内で見つけた「スイカの匂い」は2冊もあった。その他に3冊あった「ホリー.ガーデン」「絵本をかかえて部屋のすみへ」「神様のボート」を開いてみることもなしに即、まとめて書架から抜き出すとレジへ持っていった。わたしにとっておもしろいということはすでに分っていた。
一冊目を読んだ時から、それは彼女の紡いだ物語であるとしても、それはすでにわたしの内に存在する物語でもあったから。そういう相似性というか世界を共有しているらしいことが分ったのだ。高橋たか子氏にそう感じたように。
そういえば、高橋氏も「骨の城」というタイトルで書いている。

わたしが骨という文字とその言葉の響きが好きなのは分っていたが、今朝のレントゲンの写真を見て、わたしはその形も、骨そのものの存在も、特別に好きであることを確認した。こういうのを骨フェチというのだろうか。

ところで、このところずっとほぼ毎日のように、骨とかBONEの検索でわたしのこの日記を訪ねてくださる方々が後を絶たない。先月に書いたエゼキエル書の「枯れた骨」、そして、そのテキストを元にした黒人霊歌「DRY BONE]の中にその検索の言葉がたくさん使われているからだ。

わたしのように、骨に興味や愛着を抱く人が少なからずいるということだろうか。骨でここへ辿り着く方々と話してみたいものである。





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