たりたの日記
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2003年06月20日(金) ゴスペル事始

何事にも事始(ことはじめ)というものがある。これまで、数限りない事始をしてきた私だが、今日という日は記念すべきゴスペル事始の日だった。

この春くらいからゴスペルを教えてくれる場所を探していた。ところがこれがなかなか難しい。今やゴスペルは流行りの音楽になってしまい、様々なところでゴスペルと名のつくものはあるものの、本物のゴスペルを伝授してくれる場所は案外少ないことを思い知った。わたしが求めているのはスタイルではなく、ゴスペルのスピリットを伝える歌だったから。ゴスペル、つまり福音、神の言葉、イエスの言葉。それを歌う人や指導する人間が内にその人を生々しく生かしているゴスペル(福音)を持っていなければ、話にならない。

午後3時、D氏のアパートの前まで来ると、ひとつの窓から音楽が聞こえてきた。ドアのブザーを押すとお連れ合いのYさんが笑顔で迎えてくれる。D氏はキーボードを弾きながら、マイクで歌っていた。私がCDと思いこんでいたのはD氏自身の歌でありライブ演奏だったのだ。そこはまるでスタジオで、キーボード、マイク、スピーカー、録音や再生の機械がひしめきあっていた。改めて今まで踏み込んだことのない音楽を始めようとしているのだとわくわくする。

初回のレッスンはイントロダクションということだった。はじめにホワイトボードに書かれていることを自分のノートに写すようにと言われる。

1 Breathing technics
2 Vocal technics
3 Discipline

といった具合に、そこには13項目に渡って彼が指導する内容が書かれてあった。
まるで大学の講義のようだ。

D氏はまず、ゴスペルとは何かというところからその定義やその背景にある物語、respect(人としての価値を認めること)について、さまざまな例を挙げながら説いた。その中の言葉で印象的だったのが、「あなたは私にとってmiracle(奇跡)であり、私はあなたにとってmiracleである」という言葉だった。miracleという言葉に込められた気分が良く理解できたし、その通りだと思った。人と人との出会い、それこそがmiracle(奇跡)なのだ。そこには偶然とは言えない神の導きがある。他にも書き留めておきたい含蓄のあるメッセージがいくつもあったが、別の折に書くとしよう。

さて、次は1の呼吸法。これに関しては私は腹式呼吸をすでにマスターしているので問題ないということで、2の歌唱法へ進む。何か歌うように指示されるので先日教会の葬儀で歌ったAmazing Graceを歌う。歌い終わるとまず、この歌を歌う時、どんなことを考えながら、どんな思いを込めて歌ったかと聞かれた。私の思いを述べ、この歌のバックグラウンドなどについての話をした後、私の歌い方についてのコメントがあった。strong voice を持っていることは良いと言われたものの、constriction(締め付けられる感じ)とビブラートのコントロールが私の解決すべき問題だと指摘される。

今度は私が4ビートのゆっくりしたテンポで歌ったAmazing Graceを、D氏の弾く3ビートのリズムに乗って歌うように指示される。私の歌う歌にD氏はアドリブでハーモニーを付ける。そうしてデュエットで歌ったものを録音し、そのテープを聴きながら、それに合わせて今度は私もアドリブでハーモニーを付ける。そうして出来上がった4声部のAmazing Graceをテープを巻き戻して聞いてみる。ひごろ、楽譜を読んでそこに書かれてあるハーモニーを歌うということはしても、楽譜にないハーモニーを自分で付けるというのは遊びの中でしかやったことがない。しかし不思議なもので楽譜がないと自然に耳は和音を聞き分けハーモニーをつけることができるものだ。しかし私の付けられる和音はあくまでもクラッシックの主要3和音の域を出ない。ジャズやゴスペルに特有
のシックススやセブンスの和声は体の中にないから音として出せないのだ。ここにもクリアーすべき課題が見つかる。

90分の予定のレッスンは何と3時間にも及んだ。しかし全く疲れはなく、多くを学んだという充実感があった。さて、D氏は「わたしが新しいことを教えるのではない。すべてはすでにあなたの中にあることだ」と言うが、わたしの内にある眠っているものが目覚めることができるだろうか。すっかり音楽が楽譜に頼らなければならなくなっている今の時点から、フォーマルな音楽教育を受ける前のひたすら耳から聞いては歌い、ハーモニーを付けていたあの時点に戻る必要があるのだろう。





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