たりたの日記
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2003年05月13日(火) 「整理整頓」と「ダイエット」って似てません?

ほんとうに久し振りに「整理整頓モード」に見舞われてみると、整理整頓ってつくづくダイエットに似ていると思う。

若い頃から何度もトライしてみて、そのうちすっかりあきらめてしまったダイエット。しかしこの年になって成功した。いや、まだ油断はできない。成功しつつあるというべきだろう。

しかし、このダイエット、やってみると実に気持ちがいい。運動で余分な脂肪を燃焼させる。不必要なカロリーを撮らないようにする。身体に必要な熱量と栄養素に気を配る。これだけのことで身体の線も動きもシャープになる。脂肪が筋肉に変れば、若い頃よりも体力に恵まれる。なにより気持ちや生活そのものが変化する。

ここ数年、家の中、自分の身の回りに不用なものをどっさりくっつけていることへの不快さが募っていた。しかし、整理整頓に取り掛かる気分はいっこうに訪れず、その不快さがかえってその状況を悪化させていた。ダイエットが挫折する時の「毒を喰らわば皿まで」の心境は整理整頓にもいえる。

さて、どういう気分の変化からか、めでたく「整理整頓モード」に入れたことはよかった。しかし挫折しないためには作戦が必要。ダイエットと同様、決してすぐに効果を期待しないこと。毎日そのモードを持続させること。自分の身体に不必要なものがどれほど身体を蝕んでいくのかをイメージトレーニングするごとく、不要なもので詰まった自分の生活環境がどれほど精神的に負担を与えているかを繰り返しイメージする。そして、脂肪を燃焼させるがごとく、時間を使って少しづつ事を進める。

ここで禁物なのは「見ないようにしよう」と現実から目をそらすこと。
根性のない私は若い時分からウエストの線やおしりの線が明らかになるような服は一切拒み、だぶだぶで上から下までストンとした服に我が身を隠していたものだった。しかしあれがいけなかった。今のようにぴっちりしたジーンズにウエストのくびれたシャツを着ていれば、鏡にいやでも現実の姿が映る。その度にこのラインは美しい、このラインは何とかせねばとチェック機能が働くではないか。

同様に、押入れの戸があれば見えないとばかり、その中に何でも突っ込むというのがそもそもの私。確かに戸があれば、中身は見えないが、その整理整頓されていない中身は知らないうちに心を圧迫するものだ。そしてだぶだぶの服を着ながら際限なく過食するのと同じ精神状態を引き起こす。それが嵩じれば、だぶだぶの服や戸では隠しきれない事態が待っている。

さて、この家の中にあるすべての不用なものを排出し、すべての物の位置がきちんと定められ、把握できる状態に持っていくというのが到達点。考えてみれば、食欲との葛藤がないだけ、ダイエットよりは簡単な気もするが。さてどうだろう。乞うご期待!





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