たりたの日記
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2003年04月21日(月) |
アメリカンハナミズキが誘ってくれたあるイースターの記憶 |
いつの間にかアメリカンハナミズキの花が開いている。きっと夜通し雨が降ったのだろう。花びらや葉にはしっとりと濡れているその姿が儚げでいい。少し肌寒い春の朝、イースターの翌日のこんな静かな朝がなにか心地よいと感じる。木の枝の先に広がった花は地面と水平に開いている。ハートの形をした4枚の花びらは中央が白く、ハート型の窪みの部分は淡い緑色。花芯は優しげな花びらとは不釣合いなほど、硬くしっかりした小さなまつぼっくりのような形をしている。あたりまえのことだが、その花にしかないひとつの完成された美しさ。
ヴァージニアに住む友人のベスのところでイースターの休暇を過ごしたことがあったが、あの時道の脇といわず、家々の周囲といわず、いたるところにピンクや白のハナミズキが咲いていた。聞けばこの花はヴァージニアの州花だというから、日本の桜のようなものなのだろう。ところで州花になるほどの花であるのに、その名前はドッグウッド(Dog Wood)。なぜ犬の木なんていう風情のない名前で呼ばれているのだろうと思っていたが、この木は材木としては使えないし、秋になると付く赤い実もすっぱくて食用になならないから、役に立たない木というところからこの名をもらったらしい。この木は日本にやって来ると花水木と美しい名前が付けられたのだから日本には良い印象を持ったに違いない。その姿形も西洋の花とは思えないほど日本的でこの風土の中に溶け込んでいるような気がする。確かに最近はこの木を街のあちらこちらで見かけるようになった。
そういえば、あの時、ベスの夫が牧師を務める教会の礼拝の中で彼女のオルガンの伴奏でヴァイオリンを弾いたのだった。楽器を持参したわけではなかったが、彼女のところに彼女の母親が宣教師の友人から譲り受けたという古い楽器があり、その初めて手にする楽器で弾いたのだった。深い良い響きを持つ楽器だった。その曲のタイトルも忘れてしまったが、確か十字架をテーマにした讃美歌だったような気がする。ほとんど練習も無しで弾いたのだったが、礼拝の後にみなさんから感謝され、一人のご婦人が私のところに来て泣きながらありがとうと言ってくださった時には何かはっとした。私の下手なヴァイオリンでもその方にタッチしたものがあったのだ。その時のしみじみとした喜びの気持ちが今になって蘇ってきた。
ハナミズキの4枚の花びらが十文字に開いているところからこの花はイエスの十字架を象徴する花だともベスから聞いた。死と甦り。イエスの復活の出来事を、そのことの奥義をわたしはまだほんとうには分っていない。けれど、そこから始まっていったとてつもなく大きな恵みを、この命が息づく季節の中で感じていたいと思う。
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