たりたの日記
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2003年04月06日(日) もうステージは終わったのに、鳴り止まない歌がある。

ミュージカル「森のおく」の公演が終わった。いつかこの日記にも書いたパンフレットの文章の通り、本番では実際にそれぞれの人生というパズルがミュージカルというひとつの絵になっていくのを目の当たりに見るような感覚があった。そしてひとつの絵を創り上げたという達成感と充実感が打ち上げの席に満ちていた。これもまた美しい絵だった。

想いがたくさんある時にはそれを言葉にすることは難しい。そのどれかひとつを選ぶことで他のことが書けなくなってしまうから。さりとて何もかも書くわけにはいかない。ここはひとつ自分に正直になって今くり返し浮かんでくる絵とくり返し聞こえている歌のことを書きとめておくことにしよう。これはまた絵の中で私が受け持ったピースでもあるのだから。

「会えてよかった」の歌と踊りを猫たちや犬たちと歌い、踊る。私の猫たち、犬たち。本来けっして動物好きとはいえない私だが、舞台の上でごろごろところがるこの愛しい生き物たちへの愛しさが湧いてくる。動物たちの頭をなでる。動物たちが近寄ってくる。やがてこの踊りの最後の見せ場、たけるの歌に合わせて一列に並ぶとずっと溜め込むような小刻みの足踏みから♪会えてよかった君たちに♪と歌いながらダッと前に踊り出る。この時、突き上げてくるような情動があった。それに続くラインダンス、おもいっきり手と足を伸ばして。客席から見て揃っていたかどうかは定かではないものの、みんなと息があっている集中と心地よさはあった。やがてたけるも動物も舞台から去ってゆき、薄暗い舞台上にたけるのママ、私が一人取り残される。

踊りを踊った後でまだ息がはずんでいる。これから始まる長い「ママの嘆きの歌」無伴奏。私の声だけで350人の客を集中させるということにこれから初めて挑むのだ。呼吸を整えながら舞台の中心に向かってゆっくりと5歩歩みを進める。この歩みの中で、ママは楽しい動物たちとのかかわりから出て、自分の内側の世界へと移行していかなければならない。ママの声は心の一番深いところから出てくるものでなくてはならない。そしてこの宇宙の一番遠いところまで届くのでなければならない。5歩進むうちに気持ちを内に向け、さらに心の深いところへ降りてゆく。ピアノがこの歌の最初のフレーズを単音でゆっくり奏でる。深い音。そのフレーズの半分は俯いたままで聴き、残りは顔を上げて目より高い位置を見つめながら聴き、はじめに出す声に神経を集中させる。

「なぜ、猫たちや犬たちが」

聖歌のようなフレーズに乗せて、この言葉を静寂の中に放つ。歌うというよりは、問いかけのように。


「たくさんいると変だと言われるの」

ママの気持ちの中に押し込めた悲しさや怒りをさらに放つ。


「みんな生きるために生まれてきたのよ」

ふと目の前に砂漠の戦場が浮かび上がる。爆音、火をふく爆弾、逃げ惑う人々、死んでゆく子ども達。


「生まれて捨てられて苦しみと悲しみの中で死ぬなんてほんとうにむごいこと」

この歌で歌われている捨てら殺されていく小さな命と、今イラクで殺されていく命たちが私の中でシンクロナイズする。訴えは今戦争をしている人間たちへ、私たちへと向かう。


「わたしたちのところに来たらもう大丈夫、決して捨てたりしない」

この歌詞のところからはグレゴリオ聖歌のフレーズで歌う。癒しに満ちた美しいフレーズ。動物たちを愛しむ家族の情景がそこに立ち現れた。


「そうよ、そうやっいっしょに暮らしてる。それがなぜ許されないの」

ママの正しさと社会の正しさは折り合わない。受け入れられないことのもどかしさ、反発。社会への切なる問いかけ。


「子ども達はいじめられ、悪口を言われる」

子どもたちが犠牲になるほどやりきれないことはない。手で人の悪意を避けようとする動きをしながら歌う。


「この星はみんなが生きるためにあるの。みんな、みんなが」

いくつかのたたみかけるような問いかけの後、大きく息を吸い、空に向かって顔を上げる。そこは劇場の高い天井が見えるだけだが、その向こうに星ぼしが瞬く宇宙が広がっている。その遥かかなたへ腕を伸ばし、声をそちらへ届ける。これは私自身の祈りの歌。その歌を会場を突き抜けたこの地球のすべての命たち、そしてあの方がいらっしゃる遥か遠くの天へ届けるのだ。



脚本、演出のマオさんからミュージカルの曲のうち、9曲は作曲家の平岩先生に依頼するが、私がソロで歌う「ママの嘆きの歌」と森の中で仔猫を探す「どこにいるの仔猫」は私の作曲でと言われる。どこにいるの仔猫は作詞も私が書いたので言葉とメロディーが同時に出てきたが、ママの嘆きの歌はマオさんが作詞したものに曲を付けるという作業。その歌詞を読みながらマオさんとK市で会った頃のたくさんの動物を抱えてのマオさん家族の暮らし、そこに生じる苦しみのことを思った。私はその当時、何の手助けもできなかったことをずっと痛みに思っていた。その私がママの嘆きを、叫びを歌うことになにか罪悪感のようなものも感じていたから、その言葉が自分自身に突き刺さってくるように痛く、また重く、曲を付けるということの前で立ち止まってしまった。その時にふっと浮かんできたのが、ちょうどK市で暮らしてマオさんと接触があったころにくりかえし聞いたグレゴリオ聖歌のデウス.デウス.メウスという曲だった。アジテーションではなく、怒りや悲しみだけでもない、どこか宇宙に繋がっているようなこの歌詞が癒しに満ちたその聖歌に合うと思った。この旋律に乗せてこの言葉を歌えば、マオさんが表現したかったことが出せるのではないかとこのフレーズで歌ってみた。しかし歌詞の分量の方が圧倒的に多いので、その聖歌の旋律の他に教会の礼拝式文の中で歌われる詠唱のようなフレーズを繋ぎに使った。

この1年の間、いったいどれほどこの聖歌のメロディーをくちずさみ、またこの歌の言葉を歌ったことだろう。もうステージは終わったというのにこの歌はまだ私の頭の中で鳴り止まない。





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