たりたの日記
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2003年03月18日(火) あたしってコピーキャット、でもまねして書きたい初体験

「初体験」これって、ちょっと書いておきたいことではある。

期待や恐れや不安や、様々な感情の嵐が逆巻く中を、
「ここを通らねば女じゃあない」
とばかしに目をつむって突っ走る。
そもそもなぜ不安なのかといえば、未知なる世界なのだから、どこをどう辿ってゆけば、目的が達成できるのかそれがさっぱり見えない。またリードしてくれる者がこちらが全く何も知らず、聞くことさえできないほどにシャイだということを受け止めてくれるかどうかという不安も伴う。はたまた導き手にくっついていったところで、私は十分に満足を得られるだろうか。もしかして、単なる苦痛と敗北感だけを味わう結果になれば、「一生こんなことはしない」とわたしは扉を閉ざしてしまうことになるだろう。

しかし、案ずるより産むが安し。それは全くの杞憂だった。
彼の包み込むような眼差しと、ゆっくりとていねいなイントロダクションに緊張はすっかり解きほぐされ、十分に習熟したテクニックでリードされることとなる。痒いところに手が届くというのはこういうことを言うのだろう。彼が発する、最初の一言でもはや心は捕らえられ、そのおいしいレッスンを味わい尽くした4ヶ月間であった。はじめてのレッスンにすっかり満足したわたしは次第にその世界へ深く入りこみ、少しづつ習熟していったのだった。

それはNJの、とあるコミュニティーカレッジに在籍し、初めて受講した外国人のための英語のクラスのこと。
子育てに追われていた30代前半の私にとってみれば、清水ジャンプの初体験であった。すでに50は越えていると思われるハーバード大学出身のM教授の授業は実に魅力的で、私は多いに満足した。授業を受けるという行為がかくも大きな喜びをもたらしてくれることを初めて知った貴重な初体験であった。あぁ、ほんとうにおいしかった。教師にファーストネームで呼ばれたことなんてなかったから、親しげに名前で呼ばれること自体がファンタジーだったのだ。

そもそもロクに英語をしゃべったり聴き取ったりもできない身だったのに、あたしは単独、近くのコミュニティーカレッジに出向き、そこの幼稚園に子どもまで預かってもらって、学生をやる決意をしたのだった。学力検査の結果では1の段階を免除でレベル2のクラスから始めることができたもののクラスに入ってみると、他の国々から来ている外国人学生はバンバン手を上げて質問し、教師の質問にも即答する。一方わたしは教師が指示することも聞き取れないというような情けない状況。身の程知らずとはこのことを言うのだろう。しかしその身の程知らずのお陰で、老賢人を地でゆくようなM教授からは英文を読むことの醍醐味と、書くということへの様々なアプローチを教えていただいたし、アランドロンを女にしたような美しいT教授の独創的な授業も受けることができた。それは模擬裁判の場面を作るというもので学生は犯人、その母、被害者とその家族、陪審員、裁判官、新聞記者とそれぞれに役割を与えられ、インタビューしたり、証言をしたり、また記事にまとめたりといった学習活動を展開する。きっと研究者でもある彼女は新しい第2外国語の教育方法を様々に模索しているのだなと興味深かった。その模擬裁判のクラスの中でわたしはまだみんなと同じレベルでは話せなかったものの、自分がまるでハリウッド映画の中に組み込まれたような興奮を覚えていた。もちろん反りの合わない教師や、授業がつまらない教師もいたし、けっこう小テストや宿題がどっさりあって、いつもヒーヒー言っていた私は学校へ出かける子ども達から「今日はもう宿題終わったの?」とか「お母さん、今日のテストがんばってね」とか心配してもらっていたなあ。

そう、いつだって初体験はどきどきもの。でもいくつになっても未知なるものに飛び込んでゆく潔さは持ち続けていたいと思う。

今朝、F氏の日記を読んでいておもわず「ふふふっ」と笑ってしまった。そしてわたしもこの手法で書いてみたくなった。Fさんからcopycatと言われるだろうなとは思ったけれど。





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