たりたの日記
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2003年03月16日(日) 別れの涙はいつだって美しい

今日はこの1年間、英語学校のネイティブの教師として仕事をしてくれたAの送別会だった。彼は今月末にはアメリカに帰国し、大学に戻って勉強することになっている。ハンサムで頭の切れる黒人青年のAは大人にも子どもにも人気があり、わたし自身、ティームティーチングをしながら、若い彼から学ぶことも多かった。アーティストとしての気質と良い勘を持っている彼は、マニュアル通りのクラスではなく、相手に合わせて、即興で対応していくようなところがあった。市販のカードやワークシートなんどを使わずに、自分でイラストを書いて、さっさとワークシートを作ったりするところは見事だった。わたしもどちらかというとかなりクリエイティブ&即興の人だが、彼には負けていたかもしれない。

ニューオリンズ出身の彼は一度は教会のメンバーのために、もう一度は生徒のために、彼のふるさとの郷土料理「ガンボ」を作ってくれた。これは奴隷時代に主人の家で残った食べ物をなんでもいっしょくたにしてひとつの鍋で煮たことがその由来だとAは説明していた。教会の狭いキッチンで、Aは何度も味見をしながら、「おばあちゃんが作ってくれたのとなんだか味が違う」と不満足の様子だったが、チキンとえびがたっぷりと入ったなんとも香ばしいそのスープは異国の味がして彼を取り巻く人々との温かい関係がそのまま、その中に溶け込んでいるようだった。

礼拝の後、持ち寄りの料理がテーブルに並ぶ。それぞれが自分の紙皿に好きなものを取り分け、好きな場所でその場にいる人たちと語らいながら食べるというポットラックパーティー。わたしは今朝、なんとか早起きができ、いつものバナナケーキと古代黒米を入れて作ったお赤飯を並べることができた。畑を借りて野菜を作っているアメリカ人のTは自分で育てたかぼちゃをケーキに焼きこんで持ってきた。Aとのクラスが大好きだった帰国子女のY君とAちゃんの兄妹はお母さんといっしょに作ったというコロッケを持ってきた。形が不揃いのところがなんともかわいらしかった。他にもそれぞれが持ち寄ったそれぞれの味。こういう気取らないパーティーをわたしは好きだ。

Aに教会からと英語学校からプレゼントを渡し、送別の時に歌う「神ともにいまして」の讃美歌を歌う。送別の時には必ず歌われるこの歌、前奏が始まるともううるうるとしてくる。これまでの送別の場面が一挙に蘇ってくるような気がする。Aの顔がくしゃくしゃになる。泣いている。
そして、いつだって別れの涙は美しい、と思う。

歌の後、みんなに隣の人と手を繋いで一列になってもらう。そして手を繋いだまま、Aを先頭にして部屋を出、ロビーを出、ドアを開いて中庭に出る。Aに中庭の中心に立ってもらい、手を繋いだまま、列はAの回りをぐるぐると巻いてゆく。巻き終わったところで、「グループハグ!」
みんなでいっせいにAを抱きしめようというもの。外を行き交う歩行者たちはこの人たち、いったい何をしているのだろうと思うかもしれない。いい大人たちが押しくらまんじゅうでもしているのかと。

このグループハグ。実はわたしがアメリカから持ち帰った大切なおみやげのひとつなのだ。帰国する前、教会でいっしょに歌っていたクワイア(聖歌隊)の仲間がわたしたちのためにサプライズパーティーを開いてくれた。夏休みに入る前のある日曜日、ポットラックパーティーを仲間の家で開くからあなたも何か作って持ってきてと、ほぼ強制的にサインナップシートに名前と料理の名前を書かせられた。その日会場に着くと、みんなわたしたちより先に来ていて、わたしたちは拍手で出迎えられた。いったい何事とわたしたちがど肝を抜かれたのだが、それは実は我々のための送別のパーティーだったのだ。我々があまりに驚いたのでサプライズパーティーを企画したみんなも大満足の様子だった。

手入れの行き届いたイングリッシュガーデンのはしにある広いガレージの中にテーブルが置かれ、すてきなパーティー会場が作られていた。天井にはガーデンで育てられた花々やハーブのドライフラワーがすきまのないほどたくさんつるされていた。夕暮れ時、テーブルの上のキャンドルが美しかった。パーティーの最後になるとその会の音頭を取っていたJがみんなに手を繋ぐようにと言い、私を先頭にしてみんなを中庭に連れ出した。と、わたしの回りにみんなが手を繋いだままぐるぐると巻きついてくる。40名くらいはいただろうか。おもいっきりその大きな輪に抱きしめられた。グループハグというものをその時に知った。
いつまでも涙が止まらなかった。





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