たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
2003年02月15日(土) |
愛のソネット6 <愛を歌うあなた ビョークへ> |
バレンタインデーって日本では女の子が男の子にチョコレートをあげる日になってしまって、これはあるチョコレートメーカーの作戦だったらしいのだが、お返しが大好きな日本人らしくホワイトデーまでできてしまった。しかし、海外ではこの日は愛の日としてみんながいっせいに「愛」を祝う。そして家族どうしでも友達どうしでも男といわず、女といわず、カードや花などをプレゼントしあう。
この日、Saint Valentine’s Dayは聖バレンタインという聖人にちなんで名づけられたといわれている。キリスト教徒が迫害されていた西暦3世紀のローマ時代のこと、キリスト教司祭であるバレンチノは皇帝の命令に逆らって愛し合う若者たちを結婚させたことで投獄され、改宗を求められた。しかしそれに応じず処刑され、その日が2月14日だったということだ。
さて、昨日のバレンタインデー、我が家の3人の男たちにはそれぞれにチョコレートの包みを朝食のテーブルに並べ、夕食のデザート用にブラウニーを焼いてそれでよしとし、自分にはちゃっかりビョークの新しいDVD(ヴェスパタイン・ライブ:ロイヤル・オペラ・ハウス)をプレゼントした。今日は発声練習も掃除も発声練習もこの曲をバックにして一日浸っていたがそれでもあきたらず、夕食の支度を済ませるとビョーク主演の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のDVDを見はじめた。映画館で3度見て3回とも号泣したのだったが、今日もかなり激しく泣いているところに折り悪く次男が帰ってきた。目を丸くしている息子に、しゃくりあげながらブラウニーを差し出し「悪いけど、映画が終わるまでこれ食べてて、グスン、グスン、」とわたし。
この映画を暗い、救いようがないという人も少なくないが、わたしはビョークの演じるセルマの愛に泣ける。ビョークの愛に満ちたフレーズとその叫び声に嗚咽する。 そもそも、このように日記や詩もどきを書いては恥ずかしげもなく人前にさらすことなど この映画でビョークに会うまでは考えられもしなかった。思えば2年前にこの映画を見たことから始まったのだ。
ビョークから得たひとつの方角。それは自分のまわりにあるすべてのものを愛し、その信頼の中で自分をすべての人の前に投げ出すということ。言葉からではなく彼女の歌う歌からわたしはそのメッセージをもらった。
愛のソネット6
< 愛を歌うあなた >
ビョーク、あなたはわたしを知らないにしても あなたはすでにわたしの中に棲みついている それは音、それは言葉、それは息づかい あなたがどれほどこの世界を愛しているか、それが見える
アイスランドという土地を訪ねたことはないにしても その土地の空気はすでにわたしのなつかしいもの それは岩、それは氷、それは草原 どんな命とも、どんな自然とも結びつくあなたの不思議
あなたの歌はすべての命へ向かう愛 だからとても近い、命のみなもとと 愛とはもともとの自分に帰ること 自分の心の声に聴き従うこと
創り出す行為とはこうしたこと ひとりのあなたという存在が広がり続けていくということ
|