たりたの日記
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2002年09月20日(金) |
9月のつくしんぼう保育室 |
2ヶ月に一度、つくしんぼ保育室の「あそぼう会」にお招きを受け、英語の歌と遊びを担当しているが今日は10回めの会だった。
仕事で3歳児から中学生まで英語のクラスを持っているが、つくしんぼ保育室のあそぼう会は、その日にどういう人が来るのか、どういう年齢のどういうバックグラウンドの人が来るのか見当がつかない。英語学校でいえば、宣伝のためのオープンハウスのようなもので私とすればかなり緊張するシチュエーションだとも言える。
9時半からジャズピアノのWさんと打ち合わせをすることになっていたので早めに出かけた。小さい子を連れたお母さんたちが次々にやってくる。見知った顔もあるが、初めてお見かけする方もいる。むむっ、なんと外国人、それもいかにも英語圏の白人の若いお母さんが白人の子供を抱えて入ってきた。
ここで立場を変えて考えてみよう。もしもアメリカの幼稚園で、アメリカ人が日本語の歌や遊びを教えるというイベントに日本人の私はどんな気持ちで出向いて行くだろうか。日本語を教える外国人がリードするその場に日本語を母国語とする私が居合わせることは気づまりではないだろうか。何より、そのアメリカ人は日本人の私の存在を心地よくは思わないだろう。
いやだなあ、こういうシチュエーションと内心思う。さらには彼女の友達と思しき、ママたちの取り巻きもある。しかし、ここで小さくなっているわけにはいかない。私の英語がネイティブのそれとは格段に差があったとしても、ここでは講師の立場なのだから厚かましく、講師の役目を貫くほか仕方ない。
私はその白人の女性に近づいて行った。話してみると、3年前にこの町にEATとしてオーストラリアから赴任してきた英語教師の奥さんだということだった。ご主人には一度面識があるし、我が家の次男も中学校でお世話になった。 ネイティブスピーカーを前にして英語の歌を教えたり、絵本を読んだりするのは緊張すると笑っていうと、彼女は気持ちは分るけど、気にしないでと少女のような屈託のない笑顔で言う。始まる時間まで色々話すうちに、すっかり警戒心も解けてしまった。
さて、目の前に子ども達のつぶらな瞳がずらりと揃うと、私は途端に魔法がかかったようになる。この際、大人はもう目に入らない。子供たちを楽しくさせること、子ども達のハートを掴むことが関心のすべてになる。いつものようにWさんのピアノがその空間をセサミストリートの世界に変えてくれた。これもまたマジック。さわやかな秋の日の午前中、暖かい陽射しの中で魔法に満ちた豊かな時間が過ぎていった。
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