たりたの日記
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我が家の少年Hはこの夏めでたく20歳を迎えたのでもはや青年Hとなってしまった。
彼はちょうど今、イタリアの地に降り立った頃だ。昨日夕方のチャイナエアラインでイタリアに向かったが、今に至るまで事故のニュースも聞いていないから、まずは無事に目的地には着いたのだろう。
8月いっぱい、夜遅くまでアルバイトをし、旅行の費用はなんとか捻出し、前回ヤップ島へもいっしょに行った相棒と2人で旅する計画を立てていた。何しろ、彼は毎晩深夜の帰宅で、朝は家族が出払ってから起きてバイトに行くという生活をしているのでそもそも顔をあまり合わすことがない。準備はどうなっているのか、旅の行程はどのようなものか家族はおおよそ知らない。
出発の日はさすがに私が出かける前には起きてきた。これから旅の支度だという。家を出るまでに2時間もあるのだから余裕だというのだが、2週間も海外に旅するのに、出発前の数時間までパッキングもしないというのは私としてはとうてい考えられない。だいたい荷造りもしないでおいて旅の前の晩、熟睡などできる神経が信じられない。
昨日息子が荷物を詰め込んでいた大きなバックパックは子ども達がまだ小さかった頃、夫と私とで担いだフレーム入りの馬鹿でかいしろものだ。そのバックパックを担いで子供たちの手を取り、フランス、イタリア、スイス、ドイツと20日ほど旅した。イタリアはフィレンッエ、ローマ、ベニス、ミラノを回った。見て回るところは教会と城と美術館だから子ども達はもううんざりしてしまってイタリアには良い印象はなかったようだったが、Hがヤップ島の次に行く場所をイタリアと定めたのはどういうわけだったのだろう。
私たちがイタリアを旅していた時、国鉄のストライキに出くわし、ミラノの駅に一日中留め置かれることがあった。駅はバックパックをしょった若者で溢れていて、私たちも彼らと同様のいでたちだったから同様にフロアーにぺったりと座りこんで、世界各国から集まってきているであろう若者たちの様子をそれとなく観察していた。その時、今は私たちにくっついて歩いている我が子たちが、やがて自分でバックパックを背負ってこの駅に来ることがあるかもしれないと話したことが蘇ってくる。あの日から今日まで確かに長い時間の経過があったのに、何かひとっとびで来たような気になってしまう。
あの過ぎていった遠い日のミラノの駅での時間が今、イタリアの空港に降り立ったHの時間と繋がる。さて、彼は今日から2週間ばかりの時間の中でどのような冒険や出会いをするのだろうか。私もまたそのうち出かけよう。そしてあの時の時間と新しい自分を繋げよう。今度は引いて歩く子供の手もない。旅はさらに快適だろう。重いバックパックでも担げるように今ジムに通って運動に励んでいることは良い選択なんだという気がしてきた。
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