たりたの日記
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いつからか始まっていた憑依の感覚が、すっと抜けた。 自分がそっくり自分の持ち物になっている。 ストーリーを一つ書いた。この骨だけのストーリーにディティールを加え、色を付け、香りをつける作業をしていこう。 書くということが深いところで戻ってきた。 私の内なるアニマとアニムスのバランスが戻ってきたのだ。
この憑依を意識した時にエマ・ユングの「アニマとアニムス」を紐解いた。私に時々起こる憑依ともいうべき現象は、このアニマとアニムス(自己の内にある、女性性と男性性)の葛藤から来ることは明らかだからだ。私流の解釈をすれば、私の中にある男性性がある意味で何かに凌駕される時にそれが起こる。 そうすると自分を立たせていく上で大切な、自己の女性性が不安定なものになり、自分の外にある自分の持ち物ではないものに翻弄されてしまう。傾倒、恋愛、憧れ、尊敬、羨望、劣等意識、ストーカー行為、言葉も行為もそれぞれ違うが、そのどれにもアニマとアニムスの強い影響があると思っている。
自分の内にないものに羨望し、それを取り込もうという行為そのものには問題ない。それが問題になるのは、その存在が自分の立っている場所を脅かし始める時だ。自分の持つ言語、自分の持つ感性にどこか信用が置けなくなってくるのである。対象にひきずられようとする自己と、本来の自分の位置へ戻ろうとする自己は激しく葛藤する。そこにおこる虚脱感、自己嫌悪、憂鬱。
女性である以上、内に男性性を抱えているとしても男性のように生きることはできない。そうできないことの欠乏感はどんな女性にも少なからずあるのだが、女性であることの価値を脅かされないように守らねばならないと思う。女性特有の言語、感性、母性、それらのものに価値を見出さないものに対して無防備になってはいけない。
このことについてはもっと時間をかけて考えてみたいと思う。
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