たりたの日記
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2002年06月03日(月) アダルト チュルドレン

物心ついた頃から私はよく不安にさいなまされた。友達と遊んでいても、テレビを見ていてもいったいどこから沸いてくるのか分らない黒々とした不安に掴まれた。どんなに振りほどこうとしても自分から去っていってくれない不安を抱えて、私はともかくも表へ飛び出し丘へと駆け上った。高い丘の上からは家々が小さく小さく見える人も車も。頭上には空が高く広がり、どこまでも続いている。空から自分を、小さな豆つぶほどしかない自分を見る視点を心に持った時、すーっと不安が去っていくのを感じた。それにしても長いことこの得体の知れない不安がどこから来るのかわからずにいた。

私は自分の思春期がどういうものだったのか思い出さないようにしていたためかほとんど記憶に残っていないが、ある時、高校のクラスメートから言われたことで妙にはっきり覚えていることがある。放課後何とはなしに教室で話していた時、そこにいた男子生徒から「おまえ、いつ飛び降りるか分らないような顔してる。崖っぷちをふらふら歩いているみたいだ。」と言われた。その言葉に「分るんだな」と心のなかで呟いた。それとは見えていないように振舞っているつもりだったのだ。不安定きわまりない時期だった。

40半ばの今、気がつけば私は随分と平和に生きている。あんなに生きづらかった日々は遠い記憶の中にしかない。生まれた町を離れ、親からすっかり離れて暮らすことがひとつにはよかった。そして私に欠けてしまった子ども時代を自分の子どもを育てながら取り戻せたことがまたよかった。私はそれなりに長い癒しの時間を過ごしてきたのだろう。

ある時、私は自分の生きづらさが自分のACとしての生い立ちに因っていることを自覚した。アダルト チュルドレンと呼ばれるある共通する生きづらさを持った人たち。それはアルコール依存症の子どもに共通する問題を調べていくうちに浮上してきたひとつのパターン。

私の父はアルコール依存症ではない。それどころか全くの下戸である。しかし別にアルコールではなくても親が何かに依存傾向があり、子どもに対して愛情を注げず、子どもが早いうちから大人にならなければならないという状況に置かれた時、子ども達はACの生きづらさと同じ生きづらさを抱えて成長するとされこういう人たちも広義のACということになる。私の場合は母親の仕事依存傾向が原因だったと思っている。母は自分は不器用でいくつものことをこなせなかったから子どもにはかまえなかったと言うがそれは不器用なためではない。
母は自覚はないだろうが自らもACだったのだ。母の親もまた仕事に没頭することで何とか自分を保とうとする仕事依存症を抱えるタイプだったと私は思う。没頭している仕事も含めて生きることを楽しむことができない。苦痛の中でがむしゃらにがんばるという生き方を自分に課してしまう。ACは責任感が強すぎるかあるいは責任感がなさすぎるかだというが仕事依存症の母親は仕事に責任感がありすぎる一面、家事や育児に対しての責任感が欠如してしまう傾向を抱えていた。人目を必要以上に気にする母は誰からも良い人だと言われ誰とでもうまく付き合っていたが心の中には不安の方が多く、母親の不安やマイナーなエネルギーは家族の中でひとり長女である私に向かった。

私はその悪しき連鎖をなんとか終わらせたいと結婚したら教職を退き、育児に専念したが、そこがACの悲しさ、今度は子育てに依存してしまうのである。一生懸命になりすぎる。育児を楽しめず、生きづらさは変らない。自分が没頭できるものを見つけては憑かれたようにそのことに身をゆだね、わざわざ好き好んで焦燥感に身を焼くのである。今も深いところでは私のこの依存症は治ってはいない。けれどもこの自分の傾向がどこから来るのかを知ってからはその傾向を飼いならすこともできるようになってきた。人目を気にする傾向は相変わらず強いが、連れ合いが一向に人目を気にかけない人なので最近はかなりその傾向と同化してきている。異常な責任感が自分も周りも苦しめることは分っているので人といっしょにチームでやるような仕事はできるだけ避ける。何かに憑かれることがあっても、これは一時のこと、そのうちにどうでもよくなると自分に言い聞かせてその時はその状況を楽しむことに、あるいは利用することにしている。二人の息子たちはどうやら父親の方の傾向を受け継いだようで、がんばりすぎることもなく、焦燥感とは無縁である。それぞれに自分の今を精一杯楽しんでいるようで私は物足りない気持ちもあるが、どこかでほっとしている。


たりたくみ |MAILHomePage

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