たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
最近よく訪ねるようになったHPの掲示板でピンクフロイドのことが話題に出ていて、私は高校時代を思い出すことになってしまった。おおよそ思い出したくない高校時代だったので、私の記憶の中でもずいぶんぼんやりとしているが、思い返すとかなり危ない綱渡りのような時期だったという気がする。
襲ってくる鬱や虚無感、、自己喪失感、病的な恋煩い。アダルト チュルドレンだった私がこの時期にそのように病むのはごく当然のことなのだが、そういうからくりも分っていなかった私にはただただ無防備に嵐に吹かれるにまかせるより成すすべがなかった。
今日、ピンクフロイドのことが話題に上った時、一枚のレコードのことが記憶の底から浮かび上がってきた。「原子心母」Atom Heart MotherというタイトルのLPレコード。ジャケットには大きな牛の頭があった。そのレコードの中には他のどこにもない新しい世界があって、私はその音の中に自分を沈めた。できるならばそこから一歩も外へ出ていきたくないほどであった。夢うつつで自分の現実の高校生としての生活をなんとかやり過ごすと、家に戻ってかばんを置くなりレコードに針を落とし、ほっとしてその音の中に入っていった。その音の世界だけにリアリティーを感じることができた。誰と共有することもなく、ロックミュージックの知識なども持ち合わせておらず、どういう経緯でこの不思議なレコードが私のところにやってきたかも定かではないが、その時期、この音楽は分かち難く私と共にあった。 仕事上、青少年の精神鑑別をする父親は私が奇妙な音楽に異常に執着することが不安だったらしく、父がイライラしているのが伝わってきた。今になってみればそんな父の苛立ちも理解できる。それにしてもあの執着はいったい何だったのだろう。
掲示板のSさんやNさんの書き込みから思いあたったのが、私にとってこのピンクフロイドの音楽はいわば治療薬で、壊れようとする心をなんとか保つためになくてはならない音だったということだった。その当時「癒し」という言葉はなかったが、私は一枚のレコードに癒されていたのだった。理屈ぬきに、私は生きるためにこの音楽をむさぼり食べていたのだ。そうしていつか嵐のトンネルから抜け出していた。
あれから30年近くもたって、私は改めてピンクフロイドというプログレッシブロックのミュージシャンたちに感謝したい気持ちになった。この夜2時過ぎまで、次男がたまたま持っていたフロイドのCDを聞きながら深い感慨に浸っていた。同じ頃、遠い地でSさんは明け方まで聞いており、Nさんは音で頭をいっぱいにして車を走らせていたということだったが、それぞれにその当時の自分と対面していたのだろうか。
|