たりたの日記
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2002年04月11日(木) |
人生というそれぞれの映画 |
山川紘矢・亜希子さんのメルマガ 「紘矢・亜希子の自由きままに」が毎日届く。今日のメルマガの最初の部分に「聖なる知恵の言葉」からの引用としてこういう言葉が書かれていた。
「人生は私たち一人ひとりが、 それぞれの目を通して見ている映画です。 そこに何が起こっているかはたいした違いはありません。 それをどのように受け取るかが重要なのです」
今日は日記に何を書こうかと考えていたのでこの言葉にピンと来るものがあった。果たして何人の人がここを開いて読んでくださっているのか、またどのように読んでくださっているのか私は知ることはできない。けれども、ここに書こうとする時にやはり私は目に見えない読者の方たちに心を向けているという気がする。私の人生(大袈裟な言い回しだが)の一コマを私の目を通して見たことを自分にも読んでくださる方にも誠実であるために、嘘偽りなく、そしてできるだけ、気持ちの深いところから汲み出して書きたいと願っている。 先に挙げた「聖なる知恵の言葉」を引用すれば、ここに書くものが私というただ一人の人間が見ている「映画」のひとコマで、これを読んでくださっているそれぞれの方の「映画」となにかしら触れ合ったり響きあったりすることを望んでいるのだ。例え読んでいる方の存在は見えなくてもレスポンスはなくても、エネルギーは書く者と読む者の双方に流れ合っていると思うのだ。実際私はこのように自分の「映画」を言葉に乗せて自分の外に出すようになってから、とても自分の空間が広がった感じがしている。またどこからともなく共感や響き合いのエネルギーが私のところに届くのを感じている。
私もまたネットで公開されている日記を読むが、それはその人の目にしか映らない唯一の「映画」に興味があるからだろう。売られている文、お金になる文にはない自由でその人がまるごと感じられるようなエネルギーに出会いたいと思っているのかもしれない。
*メルマガ「紘矢・亜希子の自由きままに」はHPから申しこむことができます。 http://www2.gol.com/users/angel/
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