たりたの日記
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今日は新しい牧師が引越ししてくる日。私は鍵をお渡しする役目なのだが、お天気も良いことだし、家まわりの草ぬきでもしようと早めのお昼を食べて出かける。風を通そうと窓を開けるために牧師館に入ると、昨日業者が清掃に入ったので安心していたもののいろいろと気になるところが見つかる。ガス、水道、電気も止まっている!あちこち電話をかける。カーテンも網戸も付いていない。 やはり気になって来ていたMさんと顔を見合わせ、これは大変と窓やサッシの寸法を測ったり、磨き粉で磨いたり、植え込みの木を払ったりと泥縄もいいところである。 Kさんもかけつけてくれた。やはりこういう時は男手が必要だ。そしてKさんはこういう家のメインテナンスの類がめっぽう強い。わたしひとりではなくて何人かの人といっしょに牧師を迎えるための準備やお迎えができてほんとに良かった。 5時過ぎ、S牧師とご家族が到着する。息子さんとお孫さんも手伝いにいらした。暖かなファミリーの雰囲気が伝わってくる。 「お待ちしていました。」と出迎える。 今日のことではない。昨年の秋から待っていたことだ。 新しい時が始まる。
これまで何度か引越しをしてきたのに、その時のことをその都度忘れてしまっている。一番大変だったのが、一足先にアメリカに行った夫を追って、5歳と3歳の子を連れて一人で家をたたみ、アメリカに移住した時。あの時は弟と私の両親、また同じ団地に住む友人たちがご主人も連れて手伝ったくれたので辛うじて夕方までに空港の中のホテルにたどり着けたのだが全くひやひやものであった。この引越し前後のことを繰り返し夢に見てはうなされた。
この家に引越しした時も、前々から準備していたにもかかわらず、その日は、引越し屋さんが着てもまだ荷造りがすんでおらずパニックったり。また本だなを退けてはじめて壁がかびていることが分り、引越しのトラックが荷物を降ろすやいなや、ドイトに壁紙を買いに走り、出てきた社宅にとんぼ返えりし、夫と二人で夜遅くまで壁紙張りをしたりした。後始末の方が大切と思ったのだろうが、なぜあの時点で壁紙張りなどをしたのか何とも不可解な行為である。 この先、また引越しをすることがあるのだろうか。引越しは嫌いだけれど、引越しでもしなければ、増え続ける物に早晩押しつぶされてしまうだろう。
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