たりたの日記
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実はもう2月に入っているというのに、我が家のカレンダーは1月のままだ。1月最後の日記をまだ書かないでいるから何だか〆をしていないような気がしているからだ。今日こそは新しい月をめくらなければ。
30日の日記に記した「100人の村」は反響があった。 1人の、それも海の向こうの普通の人が書いた言葉が世界中に散らばり、様々な所に住む個々の人の心を揺さぶる。そのことを考えただけで実に爽快な気分になる。タンポポの綿毛が方々に広がってそこから新しい命が生まれ出る、そんなイメージと重なる。しかしこの場合言葉の種を運ぶのは風ではなく人間である。それもビジネスや自己顕示とは無関係に純粋に「心を打たれた」ということが種を飛ばす力となる。人それぞれにどの言葉に心を動かされたは違いがあることだろうが、伝えずにはいられないというところで何か共通したものがあるに違いない。
では私はこのメッセージのどこに動かされるのだろう。 最後の5行にどうして胸が詰まるのだろう。
「お金に執着することなく、喜んで働きましょう。 かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。 誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。 誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。 あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。」
これは傷つき、悩み、不自由で、すこしものびやかになれず、この地上が苦渋に満ちていると考えている私たち人間の姿がまずあって、しかしそれにもかかわらず喜び、愛し、自由に踊り、のびやかに歌い、この地上を天国として生きていきましょうという呼びかけのように響く。そしてこの呼びかけに深いところで慰められる。 新しい年ももう一ヶ月が経った。この一ヶ月を振り返っても、悩み、傷つき、不安になったり、ため息をついた。新しい月もいろんなことが待っていることだろう。そうであったとしても自由に踊り、のびやかに歌っていこう。さてカレンダーをめくるとしよう。
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