たりたの日記
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2002年02月01日(金) Nさんと会う

今日はしばらく会っていなかったNさんと久し振りに会っていっしょにお昼を食べ夕方近くまでいっしょに過ごした。この町に住んで7年になるが、その前に1年半ほどO市に住んでいた。Nさんとはその時に出会い、いっしょに学校や公民館で国際交流のボランティア活動を始めた。思えば私や子どもたちが逆カルチャーショックのダメージから守られ、のびのびと帰国後の1年半を過ごすことができたのは彼女とそしてやはり近くに住んでいたアメリカ人のGのお陰だった。帰国が夏休みだったので、2学期のはじめに上の子は小学校5年生、下の子は3年生として初めて日本の学校の生徒としての生活を始め、私は初めてその母としての生活を始めることとなったのだが、帰国した当初は何もかもとまどうことばかりだった。どうして学校を下校する時間が日により、またクラスにより違うのか。義務教育と言いながら、体操服、楽器に習字道具、給食当番のエプロンの果てまで個人で負担しなければならないのは変ではないか。どうして先生が子どもをたたくのか、そのことを親たちは口々に文句を言っているのに、どうして教師と話し合おうとしないのか。今までごく当然としてきたことがことごとく当然ではないことになった。そしてそれらがとても不合理なことに感じられ、憤懣やるかたないという状況だった。たいていの親たちには私が不自然だ、不合理だと思うことは言っても始まらないだろうなという感じがしたが、上の子のクラス懇談会で親しく自己紹介をしてくれたNさんは私が打ち明けるまでもなく、私の葛藤を察してくれ、またPTAの集まりの中でも何かと気を配り居場所を作ってくれた。Nさんは若いころ一年間イギリスで住み込みの家事手伝いをして働きながら学んだ経験がある。彼女自身、逆カルチャーショックの経験者だったのだろうし、また日本を外国人の目でも見続けてきた人だったのだろう。
私はもう9年も経てば「長いものに巻かれろ」がすっかり身についてしまって、学校を変えたり地域を変えたりという情熱もすっかりなくなっているが、彼女はその後、仕事もしながら小学校、中学校、高校とずっとPTA会長として学校刷新にかかわってきた。今も娘の中学校の担任とスカートの丈をめぐってバトルを続けているらしい。「おかしいと思ったことはきちんと声に出していかなくちゃ」と、変わっていない。私が尻尾を巻いて逃げてしまっている場所なだけに尊敬の念は大きい。
この夏、末の娘さんと27年振りにロンドンを訪れ、ホームステイ先の方々とも再会してきたと写真を見せてくれた。ホームステイ先の家族は20代の娘が、大きく成長した娘を伴って訪ねて来たことにどんなに喜び、また驚いたことだろう。私たちが出会ってからももう9年、子どもたちはそれぞれ見違えるように大きくなってしまった。ここ2年ほど行き来がなかったが、今年はもっと会いましょうと言って別れた。


たりたくみ |MAILHomePage

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