たりたの日記
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2002年01月22日(火) |
映画 「初恋の来た道」 |
私が子どもの頃、母親が良く歌っていた歌のひとつに「草原情歌」がある。
遥か離れたそのまた向こう 誰にでも好かれるきれいな娘がいた
明るい笑顔はお日様のよう 明るく輝く目はお月様のよう
お金も着物も何にもいらぬ 毎日その笑顔じっと見つめていたい
中国という国を、私はこの歌から知った。 風が草の上を渡る広々と明るく開けた草原、 輝くような笑顔の少女がいるところ。 繊細でのびやかなその歌の節はそのまま、美しい国土と美しい少女のイメージにつながった。
映画「初恋の来た道」を見た時、私の幼い頃の記憶の中にある映像がそのままに映し出されていることに息を呑んだ。ただ風だけが吹き渡る草原が実際そこにあった。そして草原の中をひた走る少女は思い描いたとおりお日様のような笑顔だった。もうなくしてしまったと思い込んでいた心象風景に巡り会った思いがした。 この映画からはアメリカ映画にも日本映画にもない、独特のスピリットが伝わってくる。繊細な恋心を描きながらしっかりと大地に足がついた揺るぎのないヒューマニズムが貫いている。人間ってこんなにピュアな存在だったんだ。愛はこれほど強くひたむきなものだったのだ。これまでにない方向から人間に光が当てられたような新鮮な印象があった。
この映画の原題は「我的父親母親」。都会で生活している息子が父親の死の知らせを受け故郷に帰省するところから話は始まる。母親は町にある父親の亡骸をどうしても車ではなく、人が担いで村まで連れ帰ると言ってきかない。人の迷惑も返りみない昔のしきたりに縛られた頑固な老婆というふうに映る。息子は母と父の若い頃の写真に目をやり、そこから白黒の画面が美しいカラーに変わり、スクリーンいっぱいに輝くように美しい少女が大写しになる。ああ、これがあの頑固な老婆の若い姿なのだ。見るものは時間を遡り父親と母親のロマンスへと誘われていく。 村に町からやってきた青年教師に少女は恋する。遠くから眺め、遠くから声を聞き、しかし心はいっときもその若者の元を離れない。町へ戻った若者の帰りを待って雪の中で凍死寸前になるほどにその思いは強いのだ。町から村へと続く一本の道。それは青年と娘とを繋ぐひとすじの道でもあった。
「お父さんの朗読する声を40年間聞いてきたけれど、一度も聞き飽きることはなかったよ。いい声だった。」と老母は語る。映画の冒頭で出てくる頑固な老母がその姿はそのままで美しい少女に見えてくるから不思議だ。老母の昔を知ったことで老母が愛しい存在へと見る目が変わったのだ。それにしてもひたむきな初恋は40年の歳月を超えて生き残ったというのか。これはめでたしめでたしで終わるおとぎ話のめでたさをはるかに超えている。
亡き父の教え子たちが大勢駆けつけ、亡骸を交代で担ぎながら、初恋の来た道を辿り村へと連れ戻る。「ルオ先生、帰ってきましたよ。」と道々呼びかけながら。 息子が戻る朝、老母は聞きなれた朗読の声を風の中に聞く。学校に向かって走りだす老母。学校の前にはその日のように人々が集まり、若い青年が子どもたちに朗読をしている。朗読しているのは老母の息子だった。息子は町に戻る前に母親のために父親の書いた教科書で一度だけの授業をしたのだった。
久し振りにおんおんと泣いた。泣きながら洗われた。心地の良い涙だった。
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