たりたの日記
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2002年01月15日(火) 井の中の蛙

「お母さんすっげえやつに出会ったよ。」
テレビを見ながらアイロンがけをしていると、夜更け過ぎにバイトから帰って来た長男がまくし立て始める。
彼は常時8割方興奮状態にある。
おとといは島崎藤村だったし、昨日は太宰治だった。どうやら古典に目覚めたらしい。しかし今日の興奮の元は秋に同じ学部に入学してきた同い年のインド人の男子生徒だった。
彼に言わせれば、物の見方や考え方で負けたと思ったことがなかったが、その子と話しているとまるで自分が幼児のように思えるくらい深い知識と洞察力を持ったタメ(同級生のことを最近はこういうらしい)なのだそうだ。
「ほんとうに井の中の蛙だった。」と並々ならぬ感動を覚えているようだが、でもこの台詞もう何度も聞いたような気がする。だいたい蛙なのにそうじゃないと錯覚しているところがまず幼い。
まあ良い、少しづつでも井戸が大きくなればそれに越したことはない。
でもそのインド人の19歳、ちょっと興味がある。小さい頃から日本で育ちインターナショナルスクールに通っていたらしいがいったいこの国にまたこの世界にどういう感慨を持っているのだろう。この異文化にどにように抵抗し、また順応してきたのだろう。彼の考え方が深いとするならば、抱えてきた悩みや怒りも深かったのだろうか。

昨夜「タイタンズを忘れない」という映画をビデオで見た。公民権運動の後、それまで別々に分かれていた白人の高校と黒人の高校が統合する。統合を前にそれぞれの学校で力のあるアメフトのチームがいっしょに合宿練習をすることになる。教育委員会は統合を進めるために黒人学校のコーチを起用する。白人側の親も子も黒人のコーチをボイコットしようとするが白人の学校のコーチが補佐として入ることでなんとか合宿にこぎつける。しかし白人と黒人の生徒の反目は何ともしがたい。コーチ同士も強いわだかまりがある。ところがそこに奇跡のようなことが起こる。お互いがお互いを理解し始めるのである。肌の色でこうだと決め付けてきた既成概念がはずされていく。理解は信頼へと意向し、さらには深い友情へと発展していった。何が間違っており、何が正しいかということを体験のなかで勝ち取っていくのである。お互いが反目する場面、白人が黒人を差別する場面は気分が悪くなるほど醜悪だったが同じ人間が差別の縄目から解かれて自由になっていく場面は美しかった。人間って捨てたもんじゃない。心の底から力が沸いてくるような映画だった。これは実話を元にして作られた映画だが、きっと醜い争いの向こうで私たちの知らない美しいドラマがいくつも生まれているのだろう。

一見平和に見えるこの国にもいわれのない差別で苦しんでいる人たちがいる。一見差別などと無縁に見えるような人の口からやっぱりニグロはとか、○○人だからとか信じられないような言葉が飛びだす。一旦日本の外に出るならば、そういう私たちこそ差別の対象になるというのに。
それぞれの民族が、人種が自分たちの井戸を出て広い海原へ出て行く時はしかしもう迫ってきている。
長男の通う大学の比較文化学部には様々な国のバックグラウンドを持つ学生たちが集まってきている。キャンパスそのものが異文化を学ぶ教材になっているのだ。ここでの教育に、またそこで育っていく学生たちに期待したい。人は変わりうる。この国も世界も。
マルチン・ルーサー・キングが訴えたように人が人を人種や肌の色ではなく、その人個人の信条や生き方で判断していく世界へと変わっていくことを
私もまた夢見る。
「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」

我が家の蛙くん、大いにがんばってくれたまえ。


たりたくみ |MAILHomePage

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