たりたの日記
DiaryINDEX|past|will
昨日の日記には思ったことは書いたが出来事は書いていなかった。 やはり記しておこう。この日のことを後々思い出すような気がするから。 昨日は夫といっしょに次男のバスケットボールの試合を見に川口へ行き、その後、私だけ四ッ谷のカトリックセンターへ向かった。
講演の始まる一時間前に着いてしまったが、ロビーには準備の方々が書籍を並べたりしていたので入っていくと、もう階下の講演会の場所に行ってもよいらしい。並べてある分厚い本の隣にある「らんぷのあぶら」という小冊子を求める。一昨年前の夏、福岡と東京でのヴァッスーラの講演会の記録のようだった。何しろ何の予備知識もなかったから、講演の始まる前に彼女に関するものを読んでおきたいと思ったのだ。
ヴァッスーラから遣わされたというギリシャからの証人が3人会場に入られた。通訳はマオさんのお友達の人見祥子さんだ。彼女はヴァッスーラの預言の翻訳者でもある。この日スピーチしたのはイリニ・ゾッパさん、考古学とフランス文学の教授ということだった。のまたのヴァッスーラの預言ギリシャ語への翻訳者でもある。 彼女の話しは最近の預言をもとにした話しだったと思うが、印象的だったのはイエスがキリスト教、ひいては宗教の一致を願っておりそのために働いているというメッセージだった。確かにキリスト教は大きくギリシャ正教、カトリック、プロテスタントに分かれ、プロテスタントに至っては実に多くの宗派に分かれそれぞれの神学があり、キリスト理解がある。冷静にこの事実を見た時、これはおかしいなことだ。イエスはたった一人なのだから。ヴァッスーラが受けたイエスのメッセージでは一人の私をなぜいくつにも分断するのかと訴えているという。またヴァッスーラの見たヴィジョンでは3本の硬い金属の棒が一本の太い棒となるという。これはギリシャ正教、カトリック、プロテスタントの3つの宗派のことをいうのだろうかと思ったが、講演の後でイリニさんに伺う機会があり、やはりそうだということがわかった。
キリスト教会の一致、エキュメニカル運動は学生の頃からの関心事だったが、9月の同時多発テロ以来、頻繁に考えるようになった。私自身、事情が許せばカトリックやギリシャ正教の礼拝にも出たいという気持ちがある。一人のイエスをさまざまな規範やルールや習慣の中に閉じ込めているような気がしていた。イエス自らがそれを止めて欲しいといっているのだとすれば、教会は変わっていかねばならないだろう。
講演会の後、200名近くの出席者がいっしょになって歌を歌った。讃美歌とはまたちがった歌が印象的だった。会の後、講演にいらしていたマオさんが翻訳者の人見さんに引き合わせてくださり、どういう訳からか、ヴァッスーラに向けてビデオカメラに向かって講演の感想もしゃべったりした。 マオさんといっしょにいたのでその後、講演者と関係者の集まるお茶の席にまでごいしょさせていただき、イリニさんの隣の席だったのでお話を伺ったり質問したりする幸運に恵まれた。人見さんが祈りの会にお招きくださった。行ってみようと思っている。
|