たりたの日記
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2001年11月20日(火) ギリシャからの証し人

今朝メールを開いたら掲示板にマオさんからこんな書き込みが記されていた。

今日はひとつの情報をお届けにきました。
以前にお話したことがある気がするのですが、聖心の鈴木先生の霊の話(天使)がすすんだことがありましたよね、その鈴木先生の同僚になられる方でHさんという方が友人なのですが、そのHさんが不思議な本の翻訳をされていまして、(ヴァッスーラの預言といい、もう十巻をこえていると思います。私は六巻まで拝見しているのですが)そのキリスト教の関係の方々三人の方がギリシャから証し人として見えるそうです。上智大学のカトリックセンターでお話があるそうです。
もし関心がおありでしたら私の掲示板かメールに御返事ください。
これはMLで送る情報のひとつという感覚でお知らせしてますので、関心がなかったらそのまま放念してください。

掲示板の文章をそのままここに張り付けたのは、この文を読んだ時に何かこれから私が会うべきものとの大きな出会いをすでにそこに感じたからである。
それが何だかは分からないがこの「はじまり」を記録しおきたいと思った。
それにしても何か不思議なものを感じる。もう7年ほど前のことになるが、6年ほどお会いしていなかったマオさんから出版された著書が送られてきた。マオさんの生原稿を一度読ませていただいたことがあったが、すばらしい本の数々となってお届けられた作品を前にしてほんとにうれしかった。そして彼女のメッセージが広く外に向かって発信されたことに深い感慨を覚え、人間的な成功というよりは高いところにおられるあの方の意図することが成就したという思いがした。そんな気持ちがあったからだったのだろうか。私はお祝いのお花などは送らずに、お礼にその頃読んでいた鈴木秀子さんの著書を2冊、紀伊国屋書店から届けてもらった記憶がある。あの時は「この本でなければ」という妙な確信があったのにもかかわらず、それからしばらくするとどうしてあの本を送ったのか、何をその時思っていたのかが不確かになったのも覚えている。

いつだったか掲示板で鈴木秀子さんの本のことが話題にのぼり、その時にお友達で不思議な本の翻訳をしておられる方のことが書かれていた。その時、どんな本なのか読んでみたいと思いはしたが積極的にそれ以上のことを伺おうとはしなかったような気がする。
人にしても本にしても、その出会いの意味がはじめのうちは定かではないのに、長い時間やさまざまな出来事を経てその意味が少しづつ形をなしてくる。「すべてのことに時がある、、、」という旧約聖書の伝道の書のフレーズを思い起こす。

お知らせいただいた講演会に行きたいと思った。仕事などと重ならなければいいがと願いつつメールを送ったところ講演会のちらしをファックスで送っていただいた。講演会は11月23日の午後6時から。行ける。



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