たりたの日記
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2001年11月19日(月) 「パンケーキの国で」を読みながら

伊藤美好さんの著書「パンケーキの国で」を読んでいる。
読む前はアメリカのことかしらと思っていたが「子どもたちと見たデンマーク」という副題があった。表紙の子どもたちの写真も、やはり北欧の感じが伝わってくる。
デンマークの学校制度や教育機関、またその歴史にいたるまで実に丁寧に書かれている。単なる体験記ではなくデンマークの教育について学ぶことができる本だと驚いた。
デンマーク独自の教育機関や義務教育の考え方、子どもの教育に対する助成金の制度など、私の知るアメリカの教育システムよりさらに自由で豊かであることが分かった。北欧の社会制度が整っていることは聞いていたが、子どもの教育や学校については知らないことばかりだった。

しかし、子どもというものの捉え方、学校というものの考え方の大筋のところはアメリカとよく似ていることに驚いた。伊藤さんの驚きや感動はそのまま、私がアメリカの学校の先生や親や子どもたちに出会うなかで驚いたり感動したりしたことを蘇らせた。どうしてこんな大切なことを記憶のかなたに沈めて思い出そうともしなかったのだろうとふと振り返ってみる気になった。

4年半のアメリカ生活から帰国して8年が過ぎた。まだ心はアメリカにあるような
自国で過ごすことの違和感から始まり、なんとか伝えよう、私の周りからでも変えていこうと行動した時期を過ぎ、そこで得たものを仕事にしようと勉強したり資格を取る時期を過ごし、今は実際に英語学校で教えている。それなりに体験したことを無駄にしないように流れに沿って歩いてきたつもりでいたが、アメリカ滞在中、また帰国してすぐにはあったった「伝えよう」「変えていこう」という気持ちがなくなっていることに気がつく。久ラスの中で、習慣の違いや行事などを伝えても、今の日本の教育を見直すきっかけとしては話していない。話したところで、いいわねえ、そんな体験をしてみたいという反応がせいぜいで、単なる自慢話や思い出話にしか聞こえないのではないかと次第にアメリカのことはしゃべらなくなった。今の日本の教育に対しては、良くないとだれもが思ってはいても、しかたがないが先
に来る。確かに私が子どもの頃から大元のところでは何も変わっていない。誰も変えられない。私もすっかり「あきらめ」に支配されている。

私が何を言おうと変わらない日本、でもそれで語ることを止めてよかったのだろうか。伊藤さんの本を読みながらしきりとそのことが思われた。


たりたくみ |MAILHomePage

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