たりたの日記
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昨日の朝日新聞の天声人語に伊藤美好さんと彼女が中心になってやっているネットを通じて、アメリカのテロ報復に対する声を集める「ちいさな声」の活動のことが載ってた。伊藤さんのことは「平和を創り出す人々のネットワークCANCE!」のメーリングリストで知った。このサイトとの出会いももとはといえば、一回目のピースウオークに長男が参加したことから始まった。伊藤さんたちのサイトIoを訪ねた時、いい活動をしているなあ、気持ちが通じる人達がここにいるうなあと感じた。なんどか情報を持って掲示板をお訪ねした。マオさんも来ていた。私がマオさんの「平和を望みます」のページに”01、9、11”という詩を投稿したところ、マオさんから伊藤さんのサイトの「ちいさな声」にも持っていくことを勧められ、私も「小さな声」にその詩を寄せた。 伊藤さんから直接メールもいただき、メーリングリストへの参加も誘ってくださったので、そこにいる三十数名の方々とのメールを通じての交流も始まった。 MLでは集まった「ちいさな声」を冊子にすることについて活発な意見交換がなされていた。私の投稿は声として寄せたものというよりは私の個人的な心情を詩という形にして表わしたつぶやきのようなものだったから、それが冊子の中にあって異質なものになってしまわないだろうかと心配したり、また自分を公のところにさらすことへの恐れのようなものもあり、自分の意気地のなさや後ろ向きなところが見えてきていた。でも、土曜日の祈りの会の時から何かふっきれ、また強い気持ちが戻ってきて進みはじめていた時だった。 伊藤さんにも、他の方々にもお会いしたことはない。でもその方々の存在から励まされているのを感じる。
昨日は朝、天声人語をネットから持ってきてメールに張り付け(やり方がまずくて、送信したものを見ると、改行がぐちゃぐちゃだったが)、「ちいさな声」の冊子の宣伝といっしょに、思いつく限りの人に送った。しばらく音沙汰なかったのにいきなりこんなメールが届いて気分を悪くした人もいたかも知れないと今朝になったら、昨日の私の行動をとがめる気持ちが出てきた。ということはやはり昨日の朝のあの時間を逃したら、「思っただけで行動しない」といういつものパターンを繰り返してきたことだろう。人の思惑をまず考えてしまう私の悪い癖だ。 思うだけではなく、行動に移していくということを今学びつつある。
■《天声人語》 11月13日
先週、本紙に「アフガニスタン難民を凍死から救おう」という写真付きの短い記事が出た。東京のモスクから古着を送る活動の紹介だ。読者の反応は驚くほど素早かった。
モスクには瞬く間に予定の古着が集まり、早々に締め切らざるをえなかった。こんどの事態で「何かをしたい」「何かをしなければ」と思っている人がいかに多いか。
東京の主婦、伊藤美好さん(45)もそんな一人だった。友人と「思いを伝えあいたい」とインターネットのホームページで呼びかけたのは9月末だった。テロで犠牲になった人たちのことを思うと胸がしめつけられる。けれども 米国のその後の言動はおかしい。そんな思いを伝えあう。
1通、また1通。メールがきた。若い母親は子どもを 前よりいっそう強く抱きしめて寝ていると書いてきた。空爆下を逃げまどうアフガンの人々に自身の空襲体験を重ねる女性がいた。パートの女性は「自分には何ができるのか」と問いつづけている。父親の暴力と教師の体罰に傷つい た会社員は、暴力の連鎖に心を痛めていた。子どもの声も交じり始めた。
怖がりの伊藤さんが、自分でも思いがけない行動に出た。この声を友人たちと国会議員に届けて回ることにした。最初は119人の声を。次に163人。その3日後には179人。議員たちにはあきれられた。テロ対策特措法が成立したいまも、声はとぎれることなくつづく。
2001年秋を、こんなふうに感じながら過ごした人たちがいた。その事実を形にしたくて、伊藤さんらは声の束を冊子に残す。
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